「そんなんじゃ甲子園で恥をかくやろ」「そんなんじゃ甲子園のお客さんが怒るぞ」普段の練習のときから僕は選手たちに ”甲子園” を身近に意識させるようにしている。目標を身近なものにしていくからこそ実現できるのでしょう。そして、実現していくからそこに道ができていくのではないでしょか。
そう語るのは甲子園の常連、智弁学園和歌山高校の高嶋仁監督。智弁学園(奈良)、智弁和歌山(和歌山)を率いて甲子園出場回数 32回は史上二位、甲子園での勝利数・63は堂々第一位の名監督である。この談話記事が掲載されたのは、「月刊致知」(2010年7月号)である。
★月刊致知 http://www.chichi.co.jp/
智弁和歌山の監督を引き受けた当時、和歌山県内で練習相手を引き受けてくる高校はなかった。あまりに弱かったからだ。
徳島の蔦監督(池田高校)に電話したところ、「すぐに来い」と言ってくれた。徳島まで行って練習試合をさせてもらったら 30何点とられてボロ負けした。徳島から和歌山に帰るのに 3時間ぐらいかかるが、選手の何人かが途中で悔し泣きしていた。
「おんなじ高校生なのに、なんでこんなんなるねん」
その姿をみて高嶋は、「あ、これで甲子園に行けるな」と思ったという。次の日、みんなでミーティングをやって強いチームになるためのトレーニングを話し合った。やり方が分かればあとは選手たちが自主的にやり始めた。悔しさを覚えると自分で走り出すもので、そこからグーンと伸びた。
一ヶ月後、もう一度試合をやらせてもらうと今度は取られても 10何点になる。うちも何点か取るから点差が縮まる。それから一ヶ月練習してまた試合すると、今度はいい試合になる。こうして二ヶ月ほどでチームはガラリと変わった。野球がうまい・へた、という問題よりもまずは、心の部分がいかに大切かを感じた。
智弁学園の野球部には選手育成に関するポリシーがある。一学年で 10人しか取らない。しかも 10人のうち 8人以上は県内の選手しか取らないという。理事長と県知事と話し合ってそう決めた。県外の選手ばかりかき集めて甲子園で勝っても意味がない。地元の選手が中心だから地元の応援ももらえるわけだ。卒業生の進路まできっちり面倒をみたい。そうなると、おのずと 10人ぐらいしかみられないという。
ベンチに入れるのは上級生から順である。だから辞めずに三年間練習したらどんな選手でも試合のベンチに座れる。高校野球をやれる期間はたった三年。その三年のなかで、後の人生につながるような教育をしたい。だから、逆境や苦しい練習を乗り越えて自分に打ち勝つ経験をさせてやりたい。そのプロセスで、挨拶であるとか責任感であるとか世の中を生きぬいていくときに必要な術を学んでもらう。
そうした高嶋監督の談話記事が載った「致知」の記事は感慨深かった。甲子園への道のりも遠かった高嶋監督だが、甲子園で一勝することも遠かった。だが一勝したらその次は優勝できた。甲子園までは今いる選手を鍛えれば充分に行ける。しかし、甲子園で勝てるようになるためには、県内で優秀な選手が集まってくるような実力(ベスト4以上)を目指すべきだともいう。
野球部の監督は三年契約だったので、智弁で三年やったあとは故郷の長崎に帰ろうと思っていたのがついに 40年になる、と高嶋監督は笑う。名監督も今年で御年 67になる。だが、いまだに辞めさせてもらえないそうで、こちらもまだまだお元気な顔を見ていたいものである。