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“楽隠居”ではなく、”攻撃型”隠居のすすめ

●「武沢さん。ぼく、隠居しました」

今年、身近にいた50代の経営者が相次いで引退した。隠居後も「会長」「相談役」を付けるケースもあれば、完全に無役になる人もいる。
「どうして?」「まだやれるでしょ」と内心で思っていたが、彼らのその後をみる限り、早い隠居は次を見据えた戦略的なものであることがわかってきた。むかしとちがって今の隠居はかなり精力的である

●「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり・・・

『敦盛』(あつもり)を好んで舞った信長。戦国の世も、源平時代も人間は50歳で死んだ。
いまの日本人の平均寿命は男性81.25歳、女性が87.32歳と世界屈指の長寿国となったが、その日本も終戦直後までは「源平」「信長」時代と変わらぬ50歳だったことを思うと、戦後医学の発展が我々の寿命を2倍近くにまで伸ばしてくれたことになる。

★参考サイト http://www.garbagenews.net/archives/1940398.html

●先日訪問したミャンマーの平均年齢は65歳。ミャンマーでは50歳になると本人も周囲も「おじいちゃん」「おばあちゃん」候となる。
25歳の息子・娘が「おじいちゃん」のような父親、「おばあちゃん」のような母親を連れて病院に行く。そのために会社を休むこともしばしばだ。会社もある程度余裕のある人員態勢なので、社員が突然に休暇申請しても「あ、いいよ」と鷹揚だ。ある意味、働き方改革が日本より進んでいると現地の日本人経営者は笑う。

●昔のように人間50年時代のころの「隠居」はまさしく楽隠居。
毎日囲碁を打ち、浄瑠璃をひねっていればよかったが、人間100年時代の隠居は、やりたいことをやるためのライフワーク追究型隠居の時代である。

●城山三郎は随筆『無所属の時間を生きる』でこう述べている。
・・・
どことも関係せず、どこにも属さず、一人の人間として生きる時間をもつ。それこそが、人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間となるだろう。
・・・
慧眼である。

●令和時代の「隠居」の定義、それは無所属でライフワークに挑むこと。誰かを喜ばせるためにやるのではない。自分がやりたいからそれをやる。そのためには、なるべく早く家督を後進にゆずる必要がある。
70歳や60歳で隠居するなんていわず、50歳以下で隠居しよう。事情が許せば40歳や30歳で隠居したって構わない。

●そのための課題が二つある。
ひとつは、隠居したあと何をするかを決めること。
ふたつめは、隠居できる条件を前もって決めておき、クリアすること。
具体的には、ある程度の個人資産を蓄えるか、隠居後の安定収入を確保しておくこと。それにプラスして、安心して任せるられる人を育てておくことだが、それが無理なら会社を売却しても構わない。
満足できる値段で売れる会社にしておけばよいわけだ。

●「隠居」してから人生の本番をむかえた人は多い。
あの有名人もこの有名人も皆、隠居後の仕事でひとつの時代をつくっている。まさしく”攻撃型” 隠居である。
来週の「がんばれ!社長」では、そうした例をいくつかご紹介しようと思う。