Rewrite:2014年3月23日(日)
経済的に貧しいことが恥ずかしいことではない。貧しいことによって、独立自尊の精神が失われることが恥ずかしいことである。
明治維新によって士農工商の身分制度は崩壊した。それと同時に侍階級の資産は没収され、俸禄も止まった。封建制度の崩壊は、武士にとっては天地が逆さになるほどの革命であり、その経済基盤のすべてを失うことを意味した。永年勤務した会社からリストラ宣告を受けたようなものだ。
封建制度の中で武士は、直接生産に従事することなく政治力と武力でもって代々俸禄を得てきた。また、「武士は食わねど高楊枝」と言われるように、侍は生活に困窮して農工業に従事することはあっても、決して商行為は行わなかった。武士道教育でも、経済・金銭に関することは避けられてきている。
そうした武士階級の資産が没収され、給与が止まった。そこで、時の明治政府は元・侍に対し、公債を発行して商売を行う自由を与えた。その結果はどうであったか。
誇り高き日本武士は、百戦錬磨の商人と伍して商売を営む能力がまったく欠落していることがわかったのだ。商業や工業という分野で武士は取り返しのつかないほどの失敗をした。今日のアメリカベンチャー企業の成功率をはるかに下回る1%ほどの成功率でしかなかったという。
余談ながら、こんな国家を作るために維新を起こしたのではないと嘆いた西郷隆盛や、幕臣として活躍した山岡鉄舟などは、明治政府から受け取る給料の大半を、食えなくなった元・侍たちに分け与えている。
この当時の元・侍が発行した借金証文が今でも残っている。
「恩借の金子、御返済相怠り候節は、衆人の前にて御笑いなされ候とも苦しからず」とか、「御返済相致さざる節は、馬鹿と御ののしり下されたく候」などといった表現が大半だ。つまり、人前で笑われることや、ののしられることは、死ぬこと以上に屈辱的であることを意味した。今では通用しない借金証文が、当時は立派に通用したのだ。
武士道では「君命は身命より尊し」とし、藩やお家のために二心なく尽くすことが第一である。したがって、「義」「信」「忠」「仁」「誠」などの徳目も個人のためと言うよりは、公のためである。商人道においては、「天は自ら助くるものを助く」という独立自尊の精神を愛する。したがって、すべての徳目は自分のためである。「正直」「誠実」「顧客第一」なども独立自尊の手段である。
しかし、日本の近代資本主義の父・渋沢栄一は、「論語算盤説」を提唱した。つまり、武士道と商人道は同じであると叫び続け、自らそれを実践した。