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「うば捨て」は伝説or史実?

昨日の日曜、アポイントが延期になったため突然時間ができた。
「チャンス」とばかり映画を2本観て本を1冊を読んだ。
映画の1本は劇場で、もう1本はプライム・ビデオでかねてよりみたかった『楢山節考』(ならやまぶしこう)を観た。

日本各地に伝わる姥捨て伝説。
都市伝説めいた民話であるが、日本各地に同様の民話があることや、中国・アフリカ・ヨーロッパでも同様の民話があることから、それに近いことが昔は行われていたとみるのが自然だろう。

小説家・深沢七郎の処女作『楢山節考』を木下恵介監督、主演・田中絹代によって映画化されたのが1958年公開の『楢山節考』。
大まかな筋はこうだ。
貧しくて山深いある部落では、口減らしのために老人は70になると楢山へ参ることになっていた。
つまり姥捨て山へ連れて行かれる。
男性も女性も関係ない。
なかには70過ぎても嫌がって行かない老人がいて、息子にむりやり連れて行かれたり、それも嫌がる場合は谷底に突き落とされる悲惨なこともあった。
主人公の家族では長男が再婚し、次男もようやく結婚して子どもができた。
しかも次男の嫁はあきれるほどよく喰う。
貧農一家が食べるための食糧は底をついた。
そこで、自らすすんで「楢山まいり」を早めると言い出す母。
最初は反対するも、ついに受け入れる長男とその嫁。
村に伝わる掟に従って、泣きながら母を背負い、山まで送り届ける息子。
山では凄惨な光景を目にするが、母は気丈にふるまって息子を追い返す。
しかし・・・。

各地に伝わる棄老伝説をこれほどリアルに描ききったのは深沢の想像力のなせるワザ。
深沢作品以外にもいろいろなパターンの伝説がある。
まず、殿様のお触れでそうしていたという説。
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ある国の殿様が、年老いて働けなくなった者を山に遺棄するようにとお触れを出す。
ある家では泣く泣く老親を山に捨てようとするが、結局捨てることができず、密かに家の床下にかくまう。
しばらくの後、隣国からいくつかの難題が出され、解けなければ国を攻め滅ぼすと脅されるが、それらの難題を老親の知恵によって見事に解き、隣国を退散させる。
老人には長い人生の中で培われた知恵があり、それが粗末にできぬものであることを知った殿様は、お触れを撤回し、老人を大切にするようになった。
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感動物語的なのはこれ。
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山に老いた親を捨てるために背負っていく際に、親が道すがら小枝を折っている(あるいは糠を撒いていく)のを見た息子が何故か尋ねると、「お前が帰るときに迷わないように」と答える。
自分が捨てられるという状況にあっても子を思う親心に打たれ、息子は親を連れ帰る。
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明日は我が身であることを気づかされるのがこれ。
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年老いた親を捨てに行く際に、子供(母からみれば孫)も連れて三人で山へ行く。
担いできた「もっこ」ごと親を捨てようとする。
すると、母は孫にむかって「おっ父を捨てるときに使うから、もっこは持って帰ろう」と言う。
自分もいずれこの子に捨てられることに気づいて姥捨てをやめる息子。
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今でも精神的な姥捨て、社会的な姥捨ては存在するはずだ。
1958年の映画ではあるが、作品としての古さは感じられないし、見方によってはとても新鮮に感じる『楢山節考』。
小説で読むもよし、映画で観るもよし。1983年の緒形拳主演作品も気になるところだ。