その他

続・意味ある凡打

昨日のつづき。

品川の居酒屋で出てきた「アボガドののり巻き」には隠し味にワサビでも入れてあるのだろうか、予想外に鮮烈な風味だった。
ビールとの相性も悪くない。私だけでなく T 社長にとっても初体験の味だったようで、「こんな食べ物があるのですね」と感心しきりの我々。

さて、広島東洋カープが強くなったのは、石井琢朗氏がコーチに就任してからである、と T 社長。
それは個人的見解というより、定評に近いものらしい。

10回打てば7回以上が凡打になる。
大半が凡打なのだから、打てたときに喜び、凡打のときに悔しがっているだけでは成長しない。
凡打のなかに学習材料を見出し、改善する打者になれと教えた石井コーチ。
そうすることで凡打に意味が出る。

もうひとつは、チームバッティングだ。ひとつの凡打にたくさんの意味を持たせようとした。
塁上の選手が進塁できたり、ホームに帰還できたりすれば、その凡打は進塁打や打点になる。
そういう凡打が打てる選手が増えれば、チームの得点力や勝率が上がる。
それを続ければ優勝の可能性も高まる
それを徹底した。
打ち損なってショートゴロを打ったところ、たまたま進塁打や打点になった。
それは結果オーライであるが、プロのコーチがみれば、結果オーライなのか、意図して進塁打を打ったのかは見抜くことができる。
広島カープの強みは、4番を打つ新井選手や鈴木選手までもが意図して進塁打を打てることだそうだ。

そんな T 社長の話を聞きながら、「平成も30年になるとプロ野球も変わってきたね」と思った。
私がそれを言うと、「どういうことですか?」と T 社長。
アボガドを頬張りながら私はこんな話をした。

昭和のプロ野球の大打者といえば、川上、青田、張本、豊田、野村、長嶋、王、落合、清原・・・。
ゴツゴツした野武士のような選手の集まりでチームが成立していた。
多分に個人成績至上主義でもあった
チームプレイ、チームバッティング、という概念に乏しく、自分が打てば勝てる、自分が抑えれば勝てる、と信じている個の集合体がチームだった。

だから、ベンチから「送りバント」のサインが出てもそれを無視してフルスイングし、ホームランを打つ。
それで監督を黙らせるような選手が何人もいた。
監督だって野武士だから、「ホームランを打て」というサインを出していたともきく。

平成も終わろうとしている現代プロ野球はまるで高校野球だ。
犠牲バントや犠牲フライを打った選手がベンチに戻ってくると、全員総出で「ナイス!」と言いあいながらハイタッチする。
そうした光景をみると、「高校野球じゃないんだから、一流のプロが犠牲バントぐらいで喜んでどうする」と思う私だが、彼らは本気でそれをやっている。
フォアザチームをたたえ合う高校野球のようなプロ野球が今の若い世代には理にかなっているのだろう。

石井琢郎コーチはカープを2017年に退団。
今年からヤクルトスワローズの一軍打撃コーチに就いた。
するとどうだろう、昨年0.234だったチーム打率はセリーグトップの0.266に。
総得点は658(1試合平均4.6)は昨年よりも200点近い上積みである。
前年最下位だったスワローズは何と、セリーグ2位に躍進した。

意味ある凡打、意味ある失注、意味ある未達、意味ある失敗、意味ある平凡な一日…。
意味ある「凡」がある。
「凡」とは、ごく普通であること。
ありふれていること。
また、そのさま、とある。
意味がなさそうに見える「凡」から意味あるものを抽出できるかどうかがポイントで、それは反省するスキルに負うところが大きい。

「意味ある凡打」が打てるチーム作りをしよう。
この稿は T 社長に感謝しつつここで終える。

近いうちに「反省のスキル」についても考えてみたい。