その他

肇の夢(はじめのゆめ)

俺は肇(はじめ)という。
苗字もあるのだが、あまり大した意味をもたないのでしばらく「肇」で通す。
8歳のころ、小さな島で漁師をしていた親父が海で遭難し、戻らなくなった。
その後、俺たちはおふくろに女手ひとつで育てられたが、母もお金欲しさに米相場に手を出してしまい、失敗した。

借金取りから逃がれるために母と兄弟9人は島から散り散りになって逃げた。
九州へ逃げる者が多かったが、広島や岡山、神戸、大坂、京都、名古屋、みんなそれぞれ、どこかへ逃げたはずだ。
自分は大坂に行って施設に預けられた。
中学を卒業すると日働きの建設労働者として社会に出た。

毎日働いても大した金にはならないが、昼メシはでた。
酒も覚えたが、自分では高くて買えなかった。
あやしい焼酎を手に入れたり、闇のタバコにも手を出した。
賭博場にも出入りするようになり、やがてヤクザの組員に誘われて、テキ屋の下働きを始めた。
長屋住まいながらも生活は楽になった。
時には庶民相手に当たり屋をやったり、高利貸しの取り立てもやった。
生きるために命を捨てていたので、恐いものは何もなかった。

そんな俺の人生が変わったのは、場末の安酒場で太郎御仁(たろうごじん)と出会ってからだ。
自分のことを「俺は太郎という」と言ってござるから俺が勝手に「太郎御仁」と呼んでいるだけだが。
太郎御仁は俺を見るなり、
「見こみがある顔をしとる。肇というのか、今夜、俺のうちへ来い。会わせたい人がおる」
と俺の酒代まで払って出ていった。

その夜、俺は言われた四つ辻まで行ってみると「肇、ここだ」と御仁がタバコを吸いながらどこからともなく表れた。
案内されたのはそこから近いバラック小屋だった。
こんな汚いところに住んどるのか、俺の長屋の方がまだマシだとそのとき思った。

バラックの中は汚いながらも必要な生活道具は揃っているようにみえた。
夕食用だろうか、かまどの土鍋がグツグツ言っているのが聞こえた。
「お前に会わせたい人はこちらだ」
暗くてよく見えなかったが、その人は「お初にお目にかかる」と言った。
その声を聞いて俺は心臓がドキドキした。なぜなら、親父の声だったからだ。
もちろんそんなはずがない。海で遭難したのだから助かるはずがない。
「あ、どうも。おれは」
「ハジメだろう」
そう言われてその人の顔をみたら、こんどは腰が抜けそうになった
「親父か?」俺の声は裏返っていた。

もちろん親父であるはずがなかった。その人は「長谷川」と名乗った。
工務店を始めたらしい。
「君のことは太郎氏から聞いている。鹿島君というらしいな。下の名は肇というのか」
「はい、肇といいます」
学校の先生に対しても使ったことがない敬語が自然に出ていた。
「お前、夢はあるか」と長谷川さんが言った。

「夢?」首をかしげる俺。
人生は生きるか死ぬかしかない。
夢などは乙女だけがみるものだと思っていた。
いい年したおっさんからそんな言葉が出るとは思ってもいなかったので、おれは言葉を失っていた。
そこへ一升瓶を抱えた太郎御仁が「粥ができるまでまずは飲もうじゃないか」と割って入った。
おれは救われる思いがした。

「では頂戴する」「いただきます」「カンパイ」塩をなめながら何杯か酌み交わすうちに、空きっ腹のせいだろうか

グルングルンと周囲が回り始めた。
たぶんこの酒は、安酒や高級酒かのどちらかだろう。
並の酒ではない。今まで経験した酔いとはまるでちがっていた。

「鍋できるまで横にならしてください」 俺は泥酔してしまったようだ。

<明日につづく>

※これは、あるメッセージをお伝えするためのフィクションです。