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責任とは何かを教える

Rewrite:2014年3月23日(日)

社内報を毎月発行している会社での話。編集スタッフ2名が担当ページを分担して仕上げるのだが、毎月締切日ちかくになると2人とも大わらわになる。このスタッフのAさん、Bさんの仕事ぶりが対照的で面白い。

Aさんは、原稿依頼を出してある人たちに何度も確認電話をし、20日の原稿締切までにかならず提出するよう促す。それでも送られてこないときもあるので、電話確認をした月日と時刻の記録まで残してある。しかし、たまには、記事に穴をあけ、イラストや写真でごまかすことがある。

一方のBさんも確認の電話を入れるのだが、Aさんと違うのは、締切日に原稿が届いていない人には電話取材で原稿を仕上げるか、翌日にでかけてインタビューして記事を完成させる。いままで一度も記事に穴をあけたことはない。

あなたならどちらの人を高く評価するだろうか、もちろん、Bさんだろう。

「自分は、やるべきことをやりました。打つべき手を全て打ちました。それでも相手が協力してくれなかったので、結果は出来ませんでした」というのは、責任感があるとはいわない。仕事には、「経過責任」と「結果責任」があり、この人は「経過責任」しか果たしていない。自分には「結果責任」はない、と思っている分だけ無責任である。

「いろいろありましたが、最終的には出来ました。次回以降の課題として、・・・・・・という問題を解決していきます」という発言をする人が本当に責任がとれる人だ。経過責任と同時に結果責任も果たしている。

プロスポーツの選手や監督は結果を出さないと使ってもらえなくなる。不振が続くと、過去に偉大な業績があっても更迭されるのがプロの結果責任というものだ。

給料の高さは、責任の大きさの順である。ひとりひとりの仕事には明確な責任が存在するはずだ。いつまでにどのような状態をつくることがあなたの結果責任ですよ、という目標の共有ができているだろうか。

「責任をとる」という言葉の意味は、「評価を甘んじて受け入れます」ということだ。「下された評価には異議をはさみません」というのが責任をとる者のスタンスだ。
部下を育成していくとは、そうした「結果責任」のとれる仕事ぶりを教えていくことでもある。