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洪庵先生のいましめ

江戸時代の鎖国(さこく)とは、江戸幕府がキリスト教国の人の出入国を禁止し、貿易を管理・統制・制限した対外政策のことをいう。
今となってはめずらしい政策である。だが当時、欧米列強がアジア諸国を次々に植民地化していった時代においては、日本以外のアジア諸国でも同様の政策がおこなわれていた。具体的には、中国、朝鮮、ベトナム、カンボジア、タイなどが鎖国した。

そんな時代に日本では、長崎の人口島「出島」には欧州からオランダ人だけが来航を許されていた。
江戸時代にあってオランダ語を学ぶことは欧州を通じて世界を知る唯一の手段だった。当時の先進的な私塾では蘭語(オランダ語)を学ぶところが多かったのもそうした理由による。

蘭語塾としては、
勝海舟の「氷解塾」(江戸)、佐久間象山の象山書院(江戸)、大村益次郎の鳩居堂(江戸)、福沢諭吉の慶應義塾(江戸)、緒方洪庵の適塾(大阪)、佐藤泰然の順天堂(佐倉)などが有名だ。
なかでも大阪の適塾には全国から駆けつけた塾生があふれ、福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など蒼々たる逸材を輩出した。

適塾をつくった緒方洪庵は小説の主人公になることが少なく、映画やテレビでもあまり出てこない。なじみが薄い人物なのだが、司馬遼太郎は洪庵のことを「美しい生がいを送った人」と評している。
「あふれるほどの実力がありながら、しかも他人のために生き続けた。
そういう生がいは、ふり返ってみると、実に美しく思えるのである」と続く。(随筆『洪庵のたいまつ』)

医者である洪庵は弟子たちにオランダ語を学ばせた。その教材として蘭医学の本をもちいた。その蘭医書から流用するかたちで洪庵は弟子たちに12箇条のいましめを与えている。
それがまた、まことに厳しい。

司馬遼太郎が訳した第一条がこれ。
一.医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ。

残りの11箇条はどこにも訳されたものが見当たらない。やむをえず残りは武沢訳でお届けする。あくまで武沢意訳であって、洪庵先生の真意から外れていないか心配ではある。

一.純粋に病人だけをみよ。相手が有名であるとか無名であるとか、
金持ちか貧乏か、などを気にするようなことがあってはならない

一.患者の身体がすべて正解。医師の術が正解なのではない。自分の
術に固執せず、謙虚に患者の身体から学びなさい

一.患者から信頼される人間たれ。いくら優れた医師でも着飾ったり
患者が理解できないことを平然と話すなどの奇行は恥である

一.患者のため、あなたのために、夜、鎮まって昼間の診察を再度ふ
り返り、記録し、それで良かったかを再考しなさい

一.患者の家を訪ねるとき、いたずらに訪問回数でカバーしようとせ
ず、一回の訪問、一回の診察に全神経を集中させた診療をすべし。
かといって、それが労を惜しむ言い訳になってはならない

無念です。今日は時間切れ。
今から日間賀島(ひまがじま)へ向かい、あるプロジェクトミーティングに出席します。よって、つづきは明後日!