最近は芸人にもコンプライアンス(法令遵守)が厳しくなり、
その結果、型破りな芸人も出ない。
戦前は今のようにコンプライアンスが厳しくない。
・名を上げるためには、法律に触れない限り、何でもやれ。
・自分の金で酒呑むようでは芸人の恥
・芸のためなら女房も泣かす、それがどうした文句があるか
「ど阿呆春団治」こと、桂春団治の言葉である。
今朝の NHK ドラマ『わろてんか』では春団治こと団吾がラジオ出演のオファーを受けて迷っているところ。
そこで今日は、ラジオと芸についてネタバレ含みで書いてみたい。
ドラマの先行きを楽しみにしたい方は注意してお読みいただきたい
「アーアー、聞こえますか。……JOAK、JOAK、
これが日本初のラジオ放送の第一声だった。1925年(
それ以降、ラジオが国民の娯楽の王様になっていく。
ラジオ放送開始から数年経った昭和5年のこと、NHK 大阪放送局は天才落語家・桂春団治に目をつけた。
その頃、春団治が所属していた吉本興業(ドラマでは北村笑店)
それを知っているラジオ局側は極秘で春団治に接触した。
吉本だけでも6,000円(約3,000万円)の借金があった。
NHK は春団治に対して破格の出演料170円を提示した。
今の85万円である。春団治は引き受けた。
放送中に吉本が駆けつけては大変と、
放送当日、ラジオから流れる春団治の声に驚いた吉本側は、
春団治の作戦は成功したかにみえた。だが、
もちろん新聞のラジオ番組表には春団治の名が伏せられていた。
NHK はゴム印で急遽「桂春団治」の名を挿入した番組表を配るなど、人気者争奪をめぐる駆け引きがあった。
春団治の演目は『祝い酒』だったらしい。
ルール違反と知っていながら計画的な犯行。絶対許せない、
しかし春団治も簡単には引き下がらない。
執行官から差し押さえの紙を奪い、「もしもし、
この一件は翌日、写真付きで新聞に大きく取りあげられ、
そのころ、北村笑店では思わぬ異変が起きていた。
<明日につづく>