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無断でラジオ出演した芸人

最近は芸人にもコンプライアンス(法令遵守)が厳しくなり、浮気や二股交際が発覚しようものならテレビ番組は降板、下手をすると芸能界を干されてしまう。清廉潔白でないと芸能界に居られなくなった。
その結果、型破りな芸人も出ない。

戦前は今のようにコンプライアンスが厳しくない。こんなことを豪語する落語家が大人気だったのだ。

・名を上げるためには、法律に触れない限り、何でもやれ。芸者と駆け落ちなど、名を売るためには何べんやっても良い
・自分の金で酒呑むようでは芸人の恥
・芸のためなら女房も泣かす、それがどうした文句があるか

「ど阿呆春団治」こと、桂春団治の言葉である。

今朝の NHK ドラマ『わろてんか』では春団治こと団吾がラジオ出演のオファーを受けて迷っているところ。
そこで今日は、ラジオと芸についてネタバレ含みで書いてみたい。
ドラマの先行きを楽しみにしたい方は注意してお読みいただきたい

「アーアー、聞こえますか。……JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します」

これが日本初のラジオ放送の第一声だった。1925年(大正14年)3月22日、午前9時30分のことである。声の主は社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK東京ラジオ第1放送)の京田武男アナウンサーだった。

それ以降、ラジオが国民の娯楽の王様になっていく。
ラジオ放送開始から数年経った昭和5年のこと、NHK 大阪放送局は天才落語家・桂春団治に目をつけた。人気絶頂の春団治にラジオで落語をやってもらえば聴取率が取れると考えるのは当然のなりゆきである。

その頃、春団治が所属していた吉本興業(ドラマでは北村笑店)では芸人がラジオに出ることを禁止していた。無料で聴けるラジオで落語や漫才をやられたら、寄席に来る人が減ると考えていたのだ。
それを知っているラジオ局側は極秘で春団治に接触した。春団治は芸の肥やしになるなら、どんな遊びもやる。金銭感覚にも乏しく、あちこちに相当な額の借金を作っていた。
吉本だけでも6,000円(約3,000万円)の借金があった。

NHK は春団治に対して破格の出演料170円を提示した。
今の85万円である。春団治は引き受けた。当時はすべて生放送の時代。
放送中に吉本が駆けつけては大変と、大阪ではなく京都の百貨店にあったスタジオで放送することにした。

放送当日、ラジオから流れる春団治の声に驚いた吉本側は、放送中止を求めて大阪スタジオに駆けつけた。だが、もぬけのから。
春団治の作戦は成功したかにみえた。だが、吉本側もラジオ阻止に真剣だった。すぐに京都に向かい、収録中の春団治に窓越しで何かを叫んでいたという。おそらく「やめろ」「やめてくれ」だろう。

もちろん新聞のラジオ番組表には春団治の名が伏せられていた。
NHK はゴム印で急遽「桂春団治」の名を挿入した番組表を配るなど、人気者争奪をめぐる駆け引きがあった。
春団治の演目は『祝い酒』だったらしい。

ルール違反と知っていながら計画的な犯行。絶対許せない、と吉本は春団治を謹慎処分にした。さらには訴えを起こし、春団治の家財道具などを差し押さえする仮執行も行われた。
しかし春団治も簡単には引き下がらない。
執行官から差し押さえの紙を奪い、「もしもし、この口押えはらしまへんのか。これあったら何ぼでもしゃべりまっせ」と自分の口へ貼り付け、「後はこの私を持っていかはったら?」とアピールした。
この一件は翌日、写真付きで新聞に大きく取りあげられ、春団治人気はさらに加速した。

そのころ、北村笑店では思わぬ異変が起きていた。

<明日につづく>