「来年中に婚約する」と Y 氏。44歳になるので、少し焦りが出ているそうだ。
どんな女性がいいのか尋ねると「健康で、賢くて、家事ができて明るい方」とのことだった。
Y 氏は中小企業の経営者なので、奥さんにも仕事を手伝ってもらうつもりだとか。「良妻賢母」になってくれそうなお相手をさがそうと、女性への期待値が高くなり、今の年齢になってしまったそうだ。
「Y さん、必ずしも良妻賢母じゃなくても、夫に良い影響を与えた奥さんはたくさんいますよ。何なら悪妻ぐらいの方がよい場合もある」と私。
「悪妻はいやだ」と Y 氏が言うので、例をあげてお話しした。
たとえば、オーストリアの天才作曲家・モーツアルトは悪妻をもった。
妻のコンスタンツェは愛情が薄く、不誠実で、無精な女性として伝記に描かれている。先月、私は映画『プラハのモーツァルト』を観たが、ある富豪がモーツァルトのことを「金がない若者」と評していた。
若くして音楽家として成功したモーツァルトがどうして金がないのか不思議だった。
調べてみたら理由がわかった。モーツアルト夫妻は共に浪費家だったらしい。かなり多くの収入を得ていたにも関わらず、使いすぎで生活は困窮していたという。まるで人気ハリウッド男優 J 氏のようだ。
モーツァルトの妻コンスタンツェはモーツアルトの死後、楽譜や書簡を売り払った。また、自分に不都合な手紙や日記、ノートも燃やした。夫の葬儀すらきちんと行わなかったせいで、モーツァルトのお墓の場所が今だに特定されていない。そうした無精な本性が世間に知られ、世間から「悪妻」と呼ばれるようになった。
いや、そうではない。やむを得ない事情があったのだ、と妻をカバーする意見もあるので、私がコンスタンツェを断罪することはできない。ここで私が申し上げたいことは、「良妻賢母」だけが夫を幸せにするのではない、ということ。
「女は遊べ物語」(司馬遼太郎)という小説がある。
戦国武将・伊藤七蔵が結婚したばかりの妻が遊び好きで浪費家だった。
七蔵の働きは戦場でどれだけ目立った首をあげるか、というもの。
それができれば加増され、収入が増える。できなけば収入は増えず生活が楽にならない。
新妻は夫の加増をあてこんで京都の着物を注文したり、宝飾品を買ったりする。夫は「いい加減にしないか」と苦情を言うが、妻にへそを曲げられると夜とぎをしてもらえなくなる。いつも「今度だけだぞ」と妥協する七蔵。戦場でよい働きをするしかない。そうしたことが続くうちに、夫はみるみる出世していくという出世物語。
「良妻賢母」といわれるにはほど遠い嫁をもらったのが七蔵の開運だったわけだ。
「悪妻もいいもんですね」と Y 氏が笑う。
人間関係は組合せの妙なので、世間一般のタイプで人を判断することは困難といえる。