Rewrite:2014年3月28日(金)
成果主義型の人事制度や賃金制度の導入は結構なことだが、それが万能薬ではない。
「成果主義」つまり、なし遂げた成果から一定の報酬を支払うという制度は最近できたものではなく、大昔から存在し、決してうまく機能してきたわけではないことを覚えておこう。
昔、農地の所有者は収穫時機になると人出が足りなくなるため、臨時に人を集めて収穫しようとした。時間給で支払うと個人差が出て不平等になるので、出来高制で支払おうとするのは当然である。
さらに知恵ある農地所有者は、いち早く収穫を終えて他より先に市場に出荷するための方法を考える。そこで労働者に対する報酬率を上げて、彼らの勤労意欲をそそろうとした。
ところが、そうした報酬率の上昇は、労働者の勤労意欲向上につながるどころか、かえって意欲低下になることもあるのだと知る。なぜなら、労働者は今までよりも少ない労働で同じ報酬が得られることを学習したからである。
それに懲りた農地所有者は、今度は報酬率の引き下げを画策する。今までと同じ報酬を得たければ、もっと働けという制度の導入だ。一時的にはうまくいくが、やがて離職率の高さというしっぺ返しが待っている。
このように賃金ルールを単純に上げ下げしただけでは、人間の勤労意欲の向上につながらないことが証明されてきた。成果主義の賃金規定がいけない、というのではない。それだけでは足りないというべきであろう。
では、何が足りないのだろうか?
それは、教育であろう。
上記にあげた、勤労者特有の労働意識を根底から変えていかなくてはならない。それを果たすものが教育だ。合理的な賃金制度と、それを補完する教育制度がセットになって初めて成果主義が機能し始めるのではないだろうか。経営に必要なものは合理性や科学性だけではない。人間性・精神性、それに社会性が求められる。社員の勤労意欲を引き上げるのもそれと同じで、合理的な賃金制度だけでは不充分だ。人間性や精神性、社会性などを高めるための不断の教育が不可欠となる。
賃金制度の見直しは、同時に教育制度の見直しとセットで進められるべきなのである。