過日、ある銀行に招かれ講演をした。
閉会後、懇親会であり隣り合わせた銀行マンが読書好きで、しかも司馬遼太郎のファンだというので盛りあがった。私も司馬が大好きだからだ。
だが、話が進むうちにさみしい気持ちになった。
「あなたの人生を変えた一冊は何ですか?」と私が尋ねたとき、即答で彼が『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバートキヨサキ)です、と言ったからだ。座興をこわさないよう私は「あえてそう来ますか?」とおどけたリアクションをした。
すると彼は「そうですとも」とロバートキヨサキの賛美を滔々(とうとう)と始めたのだった。
その本が経済的独立を勝ち取りたい人の良き参考書であることは認める。現に私のオフィスにもキヨサキ氏が開発した「キャッシュフローゲーム」があり、時々スタッフとゲームに興じる。
だが「人生を変えた一冊」がそれなのだろうか?
そのときふと、私は歴史教科書問題のことを思い出した。子どもたちが暗記すべきことを減らすために偉人の何人かを教科書から削除するという問題である。武田信玄、上杉謙信、坂本龍馬、吉田松陰の名が教科書から削除されるという。それが将来の日本人にどのような影響を及ぼすものかは不透明ながら、偉大な功績を残した先人の名前ぐらいたくさん憶えておいて欲しいというのが私の気持ちだ。
もちろん名前や年号を丸暗記するだけの教育には意味がない。
どんな仕事をした人なのか、それがなぜ偉大なことなのかもあわせて教えていくべきだ。それがおのずと先輩を敬い、日本という国を敬うことにつながる。
あるパーティでコンパニオンが山口市出身の方だった。
「吉田松陰さんをご存知ですか?」と私が尋ねると「芸能界の方ですか?」と逆に質問され、驚いたことがある。山口県民でも松陰さんを知らない世の中なのだ。
吉田松陰は教育者、思想家として強烈な足跡を残した。
松陰みずからが志の人であったのはもちろんのこと、村塾門下の塾生ひとりひとりにその人の適性や可能性を最大に引き出すような志を持たせている。
また、私心をなくすことも指導した。私心を去って身辺を清潔にし、強い責任感をもつことが指導者の条件であると後進に教え、みずからもそれを実践した。それが松陰の人格となり、圧倒的な迫力で塾生たちの人生に強い影響を及ぼし続けたのである。
そんな人が日本人の記憶から消されて行こうとしている。小説や映画、ドラマに頼るしか日本人の DNA を残せないのかと思うと悔しくもある。
大人の我々がそれを補っていくしかない。