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渋沢栄一の生き方

ここは名古屋で人気の中華料理店。4種類ある餃子がすべて絶品。
それにあわせるのは、コップ一杯1500円の老酒。栄養ドリンク以上に滋養強壮効果が高く、風邪のときこれを飲めばすぐに治るし、美肌効果もバツグンといわれる逸品だ。

アプリ開発を仕事にする渡瀬社長(55)が突然、「近々会えませんか?」と言ってきたので、この店で落ち合うことにした。
しばし料理に舌鼓を打ったあと、渡瀬社長が自嘲気味に話しはじめた。
「とことん私は不器用な人間です。社長歴25年、未だに金儲けがうまくできない。社長失格ですわ」
最近、期待していたプロジェクトが大きくこけて、甚大な損害をこうむったらしい。ひとしきりその経緯を聞かせてくれた。

「そこで、武沢さんの意見を聞きたい。商売下手は治るのか?ということを。治るのであれば、治し方を知りたい」という。
「私のセミナーに来れば商売下手が一発で治るよ」と私。平然とそう言い放ったものだから、彼は真に受けたようだ。
「そのセミナーはいつあります?」と聞いてきた。冗談のつもりで言った言葉にまで食いついてくるとは、相当困っているようだ。

そこで私は質問をした。
「渡瀬社長が考える商売上手ってどんなイメージか?」と。

すると彼は老酒を一口すすってこう言った。
「まず、押しが強く、商談上手で人脈を駆使し、情報に敏感で決断も早く、数字と暗算に強くて、えっと~、えっと・・・」
「なるほど、なるほど、何となくイメージがつかめたよ」

二つ目の質問。「商売下手とはどんな人か?」
こちらはスラスラと答えてくれた。
「それは私みたいな人間で、お人好しで思慮が浅く、場の空気に流されやすく、損得計算が苦手な人間」

「なるほど、そういうことね」と言ったあと、私はこう申し上げた。
商売が上手か下手かなどを気にしているようでは天下国家を動かす仕事はできない。関心が内向している。自分のことしか考えていないのではないか。渋沢栄一に学んではどう?」
「しぶさわ、ですか」渡瀬社長が前のめりになった。
「そう、あの渋沢」
「『論語と算盤』の渋沢ですよね?」
怪訝な顔をしている。

渋沢栄一は、江戸・明治・大正の三つの元号を生きた。そして、武士、官僚、実業家という三つの役割をこなした。武士としても一流、官僚としても一流、実業家としても一流という人は極めて稀である。
なぜなら、武士・官僚・実業家はそれぞれ立場が大きく異なるので、必要な心得や技能がまるでちがってくる。

武士は士農工商の最上位に位置し、軍事階級にある。組織の長の命令とあらば自らの命を省みない常在戦場の精神がもとめられる。体面や誇りを大切にするのも武士の特長だ。
一方、官僚は役人である。軍事階級ではない。裏方に徹し、政策立案と遂行を実務面でサポートする。
また、実業家は民間人である。事業を拡大発展させ納税や雇用、人材育成などで社会貢献する立場だ。
渋沢はたった一人でこの三つの役割を完璧にこなした。そこに渋沢の真骨頂がある。

私がそこまで言うと、渡瀬社長が口をはさむように挙手をした。
「武沢さん、具体的には渋沢のどんな本を読めばいいです?」
「渋沢が書いた本もいいが、私は『雄気堂々』をおすすめする。城山三郎が書いている」
その場で Kindle版を買ったらしく、「さっそく今夜から読んでみます」と渡瀬社長。

武士・官僚・実業家、それぞれに勉強することは異なる。おのずと渋沢栄一は魔人のように勉強した。城山三郎いわく、渋沢には三つの魔があったという。「吸収魔」「建白魔」「結合魔」だ。
城山があえて「魔」ということばを使っているのには意味がある。
一生懸命やる、なんていうものじゃない。とことん徹底して、事が成るまでやめない。そういう類いの鬼気迫る情熱と狂気。それがあるかないかが「魔」といわれることの分岐点であり、渋沢にはそれがあったという。

老酒をお替わりした渡瀬社長は、腕組みしながら「魔ですか…」ともう一度つぶやいた。
「そう、魔なのよ」と私も腕組み。
「要するに、器用にやろとかスマートにやろうとする必要などない。
損した、得した、ということも二の次。やっている事そのものに『魔』があるかどうかなのよ」

「魔になれる秘訣は?」と渡瀬社長。
なんでも聞きたがるようだ。少しは自分で考えればいいのにと思う。
だが私も興が乗ってきた。こういう話題は嫌いではない。

「魔になれる秘訣ね~、うん、僕はこう思う・・・」

<来週月曜日につづく>