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マニュアル経営

今日の主題は、社員から自由裁量の余地を奪おうというメッセージだ。

「マニュアル」という言葉を聞いただけで、“そんな個性を殺すものはいらない”、というリアクションをする経営者がいる。そんな経営者に意義をとなえたいのだ。

ある会合での二次会の席。7店舗の婦人靴専門店「キクイ」の菊井社長(仮名)との会話。

「武沢さん、マニュアル化の時代はもう終わったと思う。これからは会社と価値観を共有できる社員を集め、彼・彼女たちがそれぞれ創意工夫し、個性ある仕事をしてもらうことが大切だと考えている。」

と言う。
その考えは悪くないし、否定するつもりもない。だが、菊井社長の問題発言はその次だ。

「私はもともとマニュアルで人をしばるという考え方に反対してきたのですよ。“チェーンストア”だとか、“作業の標準化”などと言って、マニュアルで人の仕事ぶりや考え方を縛ろうとしても無理なこと。ディズニーのように、お客さんを感動させるのは社員の創意あふれる知恵と心であって、紙に印刷されたマニュアルなんかではない。それを証拠に見てごらんなさい。有名なハンバーガーチェーンもスーパーの最大手チェーンも今、みんなマニュアル経営の限界にぶち当たっているじゃありませんか。」

まるで勝ち誇ったように「マニュアル」を攻撃しているが、それほどまでにマニュアルというものを敵対視すべきではない。また、そもそもマニュアルというものを誤解している可能性もある。
そこでまず、菊井さんの会社に幾つのマニュアルがあるのか聞いてみたところ、案の定ゼロだという。基準値になるような指標数字だとかチェックリストのようなものもないという。

マニュアルがないということはこうなる。

・・・運の良いある日、菊井さんの靴屋「キクイ」で買い物をした。接客してくれた店員のAさんは、靴の知識が豊富なだけでなく、接客態度も実に心地よく楽しい。「これから婦人靴を買う時は毎回このお店にしよう」と思った。

運の悪いある日、またキクイに立ち寄ってみた。ところが店員のAさんが休暇をとっているというので、替わりの店員Bさんに接客してもらった。すると今度はどうしたことか、Bさんは短時間で販売につなげることしか興味がなさそうだ。たしかに店内は混み合っていたとはいえ、売るためのトークしか使えないBさんの態度には失望させられた。
・・・

この場合、お客さんにとってはキクイで買い物をしているのではなく、Aさんの店で買い物をしていることになる。もしAさんがいなくなれば、キクイで買い物をする理由は大幅に薄れる。

菊井社長の会社にとって大切なことは、第二・第三のAさんを作ることではないだろうか。それに異存はないならば、素直にマニュアルの必要性を認めるべきである。

最近のベストセラー、世界文化社発刊の『はじめの一歩を踏み出そう』は起業家に向けた好著だが、この中に次のような一節が出てくる。

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マニュアル化とは、現場レベルでの裁量の自由を否定するものである。
マニュアル化をしないかぎり、商品やサービスの質は安定しないので、売り上げも安定しない。セオドア・レビットは名著『発展のためのマーケティング』の中で、「自由裁量は、秩序・標準化・品質の敵だ」とさえ書いている。
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(同著 138ページより)

菊井社長はAさんのようなスタッフ集団にしたいと願っている。であれば、社員から自由裁量の余地を奪う必要がある。

基本戦略は次の三者択一となるだろう。

1.Aさんのような優秀な人ばかりを集める採用ノウハウをもつ
2.Aさんのように優秀な人ばかりにする育成ノウハウをもつ
3.上記の両方をやる

採用ノウハウを磨くにしろ、育成ノウハウを磨くにしろ、そのやり方は記憶にとどめておくか、紙に書き残しておくかしなければならない。
記憶にとどめる方を選ばなかったあなたは、すでにマニュアル化の必要性を感じているわけだ。
マニュアル化とは画一化という意味ではなく、知識と技術の文書化なのである。その必要性がない会社などないはずであり、マニュアルがないことは何も自慢にならない、とお考えいただきたい。

マニュアルそのものが悪いのではなく、むしろ使えるようなマニュアルになっていないことや、その運用方法の部分に問題があるのではないだろうか。