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続・安田善次郎の最期

昨日のつづき。

「五十、六十は鼻たれ小僧、男盛りは八十、九十」という言葉を聞かれたことがあると思うが、安田(善次郎)の言葉と言われている。
安田が大磯の別荘で暗殺される10日ほど前のこと、林学博士の本多静六氏が大磯にいる安田を訪ねている。

本多静六博士といえば、日比谷公園などをつくって「公園の父」といわれたほか、本業の林学や造園の仕事をこなしながら株式や山林に投資を行い巨富を築いた。
若くして勤倹貯蓄を基本とし、収入の4分の1貯蓄をするほか、臨時収入はすべて貯蓄するという誓いを立て、初志貫徹それを終生実行された方である。著作も多く、氏の本を読まれた方も少なくないはずだ。

以下は、本多博士が安田善次郎を訪ねたときの記録をもとに書く。

当時55歳になっていた本多は、「財産をつくるのも難しいが、財産を上手に使い、処分する方法も難しい」と考えていた。西郷隆盛のように「児孫のために美田を買わず」がよい。財産を家族に残すことは良くないと真剣に考えていたのだ。

84歳の安田は、本多の話が終わるや否や、意外なことを語った。

「いまでも自分は金儲けを考えている。考えているばかりでなく、やかましくみせの者にいいつけて実行させている」

その気になればいつだって楽隠居できる年齢と立場にある安田。だがそんな気持ちはみじんもない様子だった。
さらに安田はこう続けた。

「おかしなハナシではないか。若い者の商売熱心は褒めて、老人の商売熱心をとやかくいうなんて。実は自分は少しでも財産を殖やし、少しでも多くし、それをできるだけ効果的に使おうと苦心している。
いまにして金儲けがやめられぬのも、その志が大きいからである」と安田。

「財産はいくら積んだとて、あの世へ持っていけるものでもない」と安田は一生を懸けて真剣に貯めてきた金だからこそ、最後の思い出に真剣に使いたいと考えていた。何か最も有意義に使いたい。そのために今自分が考えていることはかくかくであり、かくかくの人に相談してみようと思っている、などと構想を語った安田。
それを聞いた本多は驚き、かつ、喜び、最後には互いに手を取り合って感涙し、別れたという。

その10日後、安田は兇刃に倒れた。
安田の華麗な財産処分案は日の目を見ることなく終わってしまったわけだが、本多は自分なりに考えた財産処分法を実践した。
そのあたり、興味のある方は『私の財産告白』(本多静六著)をお読みになるとよいだろう。

人生の経済面におけるプロジェクトは、
1.ひとかどの財産を作る
それには勤倹貯蓄と投資(投機ではなく投資)
2.財産を意味あるものに使う
家族に金銭的財産を残そうと考えるのでなく、愛、経験、教育などの無形の財産を残すことが家族のためになる。

そこまでやって人生の経済的側面が完結すると考えるべきだろう。

<告白>
今回、スタッフとの朝読(あさどく、朝の読書会)で Kindle 版「私の財産告白」を読んだ。収入の4分の1貯蓄を始め、株式投資や山林投資のすすめ、原稿執筆を日課にすることなど、本多博士は実に雄弁に後輩たちに自らの知恵を残してくれている。
私は雑誌「実業の日本」で本多博士のメッセージに初めて触れたのが20歳ぐらいのときだった。以来40幾年、ほとんどなにひとつ実践できていないことを恥じる思いでスタッフ(息子)と博士の本を輪読している。光陰矢のごとし。