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諸行無常の物語

「諸行無常」(しょぎょうむじょう)という言葉は仏教用語で、すべての物はいつも流転(るてん)し、変化・消滅がたえない様子を表現したもの。
私はこの言葉を高校生のころにみた NHK 大河ドラマ『新・平家物語』
(原作:吉川英治)で知った。
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祇園精舎の鐘の声(ぎおんしょうじゃのかねのこえ)、
諸行無常の響きあり(しょぎょうむじょうのひびきあり)。
沙羅双樹の花の色(しゃらそうじゅのはなのいろ)、
盛者必衰の理をあらわす(じょうしゃひっすいのことわりをあらわす)。
驕れる者久しからず(おごれるものひさしからず)、
ただ春の夜の夢の如し(ただはるのよのゆめのごとし)。
(以下省略)
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鎌倉時代に書かれた「平家物語」の作者には諸説あり、現代語訳が岩波文庫などから発刊されている。小説では吉川英治の作品が有名で全16巻ある。
内容は、平氏と源氏を頂点とする権勢の物語で、軍記物語と言ってよい。その主人公は平清盛なのだが、主人公ながら悪役仕立てで表現されているため映画やテレビでもわがままで傍若無人な奢れる平家のトップ・清盛像が表現されることが多い。だが政治にも武力にも秀でていたという意味で、信長・秀吉・家康の三英傑に勝るとも劣らない実力者であったことは間違いないだろう。

そんな「平家物語」のなかのサブストーリーがまた良くできている。
そのなかのひとつ、祇王(ぎおう)と仏(ほとけ)の物語をご紹介してみたい。このエピソードはおそらく実話なのだろうが、これを挿話した作者の真意はどこにあるか興味深い。(以下、ネタバレ注意)

京の都に祇王(ぎおう)と祇女(ぎにょ)という二人の姉妹がいた。
二人はまだ二十歳前後の白拍子(しらびょうし)の名手として都じゅうに名前を知られていた。白拍子とは今日の舞子の元祖である。
姉の祇王は清盛から寵愛され、妹の祇女は世間から高い評価を得ていた。清盛は姉妹の母のために屋敷を造り、毎月多額な金を送って祇王の家族は大いに栄えた。

やがて姉妹をうらやむ者がたくさん出た。「祇」の一文字が縁起が良いと、「祇一」と名前をつける者や「祇二」「祇副」「祇徳」など、「祇」ブームが起きた。
それから三年経ったある日、京に別の白拍子が現れた。名を「仏」といい、十六歳だった。京都の人たちは、上下にいたるまで、昔から多くの白拍子は見てきたけれどもこれほどの舞は見たことがないと褒め称えた。

世間の評判は申し分ない「仏」。だが肝心の清盛公の関心は依然として「祇王」にくぎ付けである。「仏」は、清盛公に召されぬことが唯一の心のこりと、清盛の御殿に押しかけてみることにした。
当時のならわしとして、こうした行為はよく行われていたらしい。

清盛の屋敷で、家来が「都で名高い仏御前が来ました」と清盛に告げた。だが清盛は不機嫌そうに「呼んだ覚えがない」と追い返そうとする。やむなく帰りかける「仏」をみて、横にいた「祇王」は、仏の気持ちが痛いほどわかるだけに、「せめて目通りだけでも許してほしい」と清盛にとりなす。

清盛は、「そこまで申すなら」としぶしぶ「仏」を呼び戻す。
よもや、「祇王」のとりなしが「祇王」自身を滅ぼすことになるとはそのときは分からない。

<あすにつづく>