私は今、ラスベガスにいます。
ここラスベガスは日本より16時間遅れの時刻です。この原稿を書いているのは現地時刻で6月22日(日)午後5時ですので、日本では6月23日(月)午前9時ということになります。ラスベガスに着いて今日で4日目。早くも後半戦に入りましたが今日から木曜日までこのレポートをお届けする予定です。
まず、
なぜラスベガスに来たか
それは一通のメールから始まりました。8年前からラスベガスで旅行会社を経営されている桜井英樹社長からのメールでした。その内容は、ラスベガスがチャンスに満ちた街であり、ひとりでも多くの日本人経営者にこの実情を知ってほしい、見にきてほしいと、切々と訴えられていたのです。
まさかラスベガスがビジネスチャンスだなんて、と驚いた私はとにかくいつかどこかで会いましょうとご返事しました。
一ヶ月後の3月に彼は東京へやってきました。そして、彼の人柄の誠実さから、私はとにかく一度ラスベガスへ行ってみようと決心したのです。彼は、日本の経営者にラスベガスで成功してもらいたい、ラスベガスで成功するのはそんなにむずかしいことではないと主張しています。
百聞は一見に如かずというように、日本の企業にとってこの街がビジネスチャンスなのかどうかを見たいと思い、やってきました。
私は、これからの企業経営者は会社の規模に関係なく、世界を視野に入れて勝負すべきだと思っているからです。
ラスベガスという街について
ラスベガスといえば、砂漠そして一攫千金を夢見るカジノの街、という印象が強いと思います。それは間違ってはいませんが、一面にすぎません。この街は節目節目で大きく変貌を遂げてきたようです。今では家族やアベックも楽しめるエンターテイメントの街という性格が色濃くなってきているようです。
とは言うものの、私の頭のなかでのラスベガスは「利権の街」「生活する街というより観光に行く街」「物価が高そうな街」「ビジネスをやるには不向きな街」という印象がありました。実際のところはどうなのでしょう?
ビジネスの話の前に、まずここがどんな街なのか概略をかいつまんでご紹介しましょう。
1.人口増加数・人口増加率とも全米第一位の街。今なお毎月4千人増加しており、現在の人口150万人はこれからもどんどん増 えそうです。中心街(ストリップという)からドーナツ型に郊外に発展しており、2×4(ツーバイフォー)住宅の新築建売 が2~3千万円でどんどん分譲され、完売状態にあります。
2.ホテルの客室は20万室もありますが、年間通して95%程度の稼働率を誇っています。つまりいつも満室状態であり、今なお 巨大ホテルが幾つも建てられつつあります。
3.砂漠
車で30分も郊外へ走ると見渡すかぎりの砂漠地帯。しかし砂漠というよりは荒野に近く、砂ぼこりが立ちこめているわけで はありません。また市内にいるかぎり、電気・水道・ガスなどの生活インフラは整備され、生活していても砂漠にいるという 自覚をすることはありません。
4.気候
一年のうち300日が晴れ。しかも雲ひとつない晴れが多いのが特徴。竜巻、洪水、地震といった天災がまったくない街でもあ ります。気温は日本よりも数度高いのですが、湿度がないので快適にすごせます。
5.道路事情
交通渋滞や通勤ラッシュがほとんどありません。人口が多い割りには意外なことかもしれませんが、24時間眠らない街であ り、勤務シフトがばらけていることや、周辺道路の整備状況が良いことなどの理由でしょう。
6.治安
ダウンタウンの一角を除き、ラスベガスは治安の良さでも有名です。ストリップ(細いひも)といわれる繁華街では、夜の一 人歩きにもまったく不安がありません。街全体がいつも明るいせいもありますし、警察の数がほかの都市にくらべて3~4割 多いというのも貢献しているのでしょう。
7.生活コスト
他の大都市にくらべ生活コストは安いです。まず州税がかかりませんので、実質的な収入が増えます。また、家賃やたべもの 値段が安いことや、空港などは別にして、どこに駐車してもパーキング代かからないなど、生活者にやさしい街になっていま す。
8.闇の支配
カジノの街だけに何かと利権や規制が多いという印象があるかもしれませんが、そうではありません。誰にでも平等に、いつ でもチャンスがあるのが自由主義の精神。それはここラスベガスでもまったく同じです。カジノとマフィアの街だった1970 年代までの闇の支配は一層され、新規参入者の受け入れや市民の増加を歓迎する街なのです。
9.プレイヤーズカード
各カジノで発行している会員カード。無料で会員になり、カジノをやるたびにこのカードを差し込む。テーブルゲームの場合 はディーラーに渡してポイントになる。ポイントが貯まると食べ物が割り引き、無料、ホテル無料などの特典がつくようで す。
日本人女性カジノディーラー「kinukoさん」
ご主人はイタリア人のジャグラー。毎日ラスベガスのステージで活躍しておられます。奥さんのkinukoさんは、趣味と実益をかねて編み物を製作販売していましたが、ある日、カジノのスクールへ通いはじめました。そしてカジノのオーディションを受けたら見事合格。まずはダウンタウンのホテルで修行し、今ではあこがれのストリップ「エクスカリバー」でディーラーとして高い評価を得ておられます。お茶をご一緒したのですが、静岡生まれの彼女はとても日本的でシャイな感じの方でした。彼女にとって一番うれしいことは、勝たせてあげたいお客さんが買ってうれしそうに帰るとき。一番つらいのは、勝たせてあげたい人が負けて帰るとき。一番むずかしいのは、そうした自分の感情をおさえ、どなたにも楽しんでもらうこと。向上心旺盛な彼女でした。ここにもがんばっているステキな日本人女性がいたのがうれしかったです。
デスバレー(死の谷)
ラスベガスから約一時間。北半球で最も暑いところと言われるデスバレーがあります。この日の気温は摂氏46度と快適な気温でしたが、暑いときには50度を突破します。ゴールドラッシュ全盛の1940年代後半(49’s、フォーティ・ナイナーズという)中部・東部からの開拓者がカリフォルニアに到達するためには、どうしてもこの谷を通らねばなりませんでした。ところがあまりにの暑さに馬がやられ、人間がやられて命を落とす人馬が後をたちませんでした。そこから死の谷とつけられたわけですが、その異名は「看板にいつわりなし」の熱さでした。
<つづく>