周囲から「師匠」と呼ばれているある資産家から「武沢君、メシを喰おう」と連絡が入った。しかし、指定された日時に私は別の会食予定があった。それを伝えると、「そのメンバーも一緒に合流すればいいじゃないか」ということで、6/6(火)の夜は五名が割烹料理店に集まることになった。締めの鯛めしが人気の魚料理専門店だ。
乾杯が済み、お造りが出はじめたころ、同席者のひとり34歳の社長が「師匠」にビールを注いだ。そしてこう尋ねた。
「どのようにすれば私でも億万長者になれますか?」
単刀直入の話題だが、「師匠」はこういう直接的な話は嫌いではない。一瞬だけ考えてこう答えた。「そんなにむずかしいことじゃないし、時間のかかることでもない。まずお金持ちと仲良くなることだ」
以下は、そのときの「師匠」の話の要約である。
「師匠」は40歳で香港へ渡った。手元には300万の貯金があったがまだ資産形成の初心者といえた。香港で成功している人は誰か?と調べまくった。すると、とんでもない大金持ちの日本人がいることがわかった。仮の名前を K 氏(当時50歳)としておく。K 氏は金融関係の仕事をしており、株や不動産の投資に長けていると評判だった。
だが人づきあいの悪さでも有名で、公の場にあらわれない。
あらゆる手を尽くして K 氏に会った「師匠」は、飾らない人柄が気に入られた。定期的に K 氏の方から「メシを喰おう」と連絡が入るようになった。
同様に「師匠」は T 氏(不動産専門家)、R 氏(華僑系実業家)などとも交友を深め、表に出ない情報を得るようになった。
香港にわたって一年後、チャンスがやってきた。
「買うなら今だぞ」と K 氏の方からマンション購入を薦めてきた。
師匠は300万円を頭金にして銀行ローンを組み、海の見えるマンションを1,000万円で買った。この物件も K 氏の薦めだった。当時としては平均的な価格といえる。
このマンションを他人に貸して自分は安いアパート生活で我慢した。
するとわずか一年で利回りが10%以上に回り、不動産価格も20~30%上昇していた。つまりインカムゲイン(家賃収入)とキャピタルゲイン(値上がり)とあわせると、300万円の元手が一年で倍増していたことになる。
「お金がお金を生むというのはこういうことか」と肌で実感した。
値上がり分の資産を担保にして二年目にもうひとつ買った。今度は利回りが20%に回った。不動産価格も30%以上上昇した。
三年目にもうひとつ買った。その年の利回りは30%を超え、不動産価格はそれ以上に急騰した。それを数年繰り返したとき資産は軽く1億円を超えていた。
急騰する香港不動産市場にぶつかり、運が良かったともいえる。
だが、当時その国には何万人という日本人が住んでいた。そのチャンスをものにできた人は一握りに過ぎない。
なぜ師匠はそのチャンスをものに出来たか?ひとつは資産形成のメンターとの交際。もうひとつは、世界のいつも潮流をみていたからである。長期的視点に立って考えたとき、世の中の流れ、特に人とお金の流れがどちらに向かっているのかを絶えず考えていた。
そしてアジアの時代が来るということは当時(80年代)から確信できていた。
資産が大きくふくらんでからは、分散投資に切りかえた。
株式投資も始めた。最初は上がりそうな株ばかりを追いかけてうまくいかなかった。バフェット流投資に切りかえてから、株式投資でも大きな利益を出せるようになった。香港の証券会社でも上位にランキングされる個人投資家になることができた。また不動産も香港一辺倒ではなくシンガポールやカンボジアなどにも分散投資するようにした。
あ、そうそう、大切なことを言い忘れていた。好きになることだ。
相手に惚れるぐらい好きにならないと相手もこちらを好きになってくれない。
住んでいる国だったり、仕事、投資、お金、などが好きであること。
住んでいるところが嫌いで、仕事が嫌いで、投資やお金を軽んじている人で成功した人はひとりもいない。私の友人はそれらが皆、大好きだし、私も大好きだ。
いまだに「億万長者」ということばが好きで、日本の本屋でその類いの本をみつけると衝動買いしてしまうよ。
(文責:武沢)