昨日は幸田露伴の『努力論』から、二種類の努力があることをご紹介しました。そのうちの「直接の努力」について解説したところで紙面が尽きたわけですが、今日は「間接の努力」を解説します。
「間接の努力」とは、テストの点数に関係なく学問として勉強することを言います。ビジネスなら、誰のためでもなく自分のために行動記録を整理したり、読書をしたり、将来役に立つかもしれないテーマのセミナーに参加することがそれにあたります。
今学んでいることがいつどのように役に立つかわからないけれども、将来に備えて学ぶ、という姿勢を若い頃から養っておきたいものです。
この「間接の努力」は、「直接の努力」とちがってどれだけ続けても燃え尽きることがないようにできています。
「努力しろ」「ベストを尽くせ」といったことを話すと、それは精神論・根性論だと否定する人がいます。
私は、精神論や根性論がとても重要だと思っています。問題は、精神論・根性論で終わらせてしまうことです。それを方法論に落としこむことによってはじめて精神論・根性論が実践論になるのです。
例えば毎月6冊の本を読むことを努力目標に掲げたとしても、精神論だけではうまくいきません。
・そもその毎月6冊読書することの目的はなにか
・読む時間は月間で何時間必要か(一日あたりどれだけの時間か)
・読む時間帯をいつにするか
・何の本を読むか
・読書の記録をどのように付けるか
・読書の時間を奪う敵(障害、誘惑など)は何か。その対策は?
といった具合に方法論に落としこむことで行動につながります。
「努力はウソをつかない」と多くの人が言います。その反対に「努力はウソをつく」と言っている著名人もいます。スケートの羽生結弦選手です。彼の場合、「でも無駄にはならない」と続けています。
いずれにしても、多くの人が努力することの大切さを認めています。
努力がウソをつこうが、つくまいが、報われようが報われまいが、努力した者だけが味わうことのできる達成感や充実感は、誰も奪うことはできないはずです。
今回は平凡な結論になります。「努力しましょう」ということです。
方法論のある努力をしましょう。
できれば、あなたにとって「直接の努力」「間接の努力」とはどのようなものなのか、紙に書き出してみてください。意外にどちかに偏っている場合がありますから。