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経営は○○に尽きる

※今日はある友人の実話ベースフィクションをお届けします。

「経営はリクルーティングに尽きる」が信条の牛嶋浩哉社長(仮名、55)。氏は20歳で単身アメリカにわたり、米国東海岸での不動産事業で成功した。いまはニュージャージー州在住で、年収は5,000万円ほど。それ以外に自社株の配当が毎年数千万円あるほか、個人で保有している不動産や株、各種会員権などの個人資産をあわせると2,000万ドル(約23億円)近くの金融資産がある。

「経営はマーケティングに尽きる」なら分かるが、「経営はリクルーティングに尽きる」というあたりが実に意味深長だ。
お会いしたときに発言の真意を尋ねると、氏はためらいながら「ちょっと長くなっても大丈夫ですか?」と確認した。私が「どうぞ」と促すと、意外な生い立ちを語り始めた。

僕(牛嶋)は中学生のときに持病がふたつあって悩みました。今で言う「鬱(うつ)病」と「てんかん」でした。
高校に進学しても持病はさらに悪化し、優秀だった成績もいつしか悪化をたどり、劣等生になってしまいました。どうにか高校を卒業し、二年ほどは父の仕事(鮮魚卸)を手伝いましたが、魚が好きになれず仕事は続きませんでした。ちなみに今でも魚は食べられません。

父が40を過ぎてから生まれた一人息子の私が家業を継がないわけですから、悲観した父は「店を閉める」と言い出しました。三代つづいた鮮魚卸を本当に閉めてしまい、60歳をまわったばかりなのに隠居生活を始めました。

そんなある日「浩哉君のための良い病院があるのでニューヨークに来ないか」と親戚の叔父が電話をくれました。やる気があるならこちらで仕事も世話してやる、とも言って下さいました。叔父はニューヨークで不動産会社を経営していました。私にとっては大変ありがたい話でしたが、渡航費と治療費で300万円ぐらい必要だとわかりました。
年金頼みの生活を始めていた両親でしたが、わずかな貯金を崩して私のためにその費用を用意してくれました。

ニューヨークで治療に励みながら、英会話教室に通い、こっそり叔父の会社でアルバイトを始めました。ニューヨークの活気が私の持病にとって最高のクスリだったようです。なによりも叔父の会社の仕事がおもしろく、不動産事業に夢中になりました。

ふと気づいてみたら、てんかんもうつ病も発症しなくなっていました。一年もしたら、クスリを飲むこともやめていました。自分に自信がもて、現地のカフェで出逢った女性と交際を始めました。ちょうど22歳になった誕生日にニューヨークの小さな教会で結婚式をあげました。

「帰ってこないのか?」と両親は何度も電話をくれましたが、「できればこちらで腰を据えて仕事をやりたい」と伝えました。一人っ子の長男を海外に送り出す親の気持ちをおもうと辛かったですが、早く成功して孫の顔を見せに帰らねばとがんばりました。

※「経営はリクルーティングに尽きる」につながるエピソードはあすに出てきます。
つづく。


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