2013年のある日、「名将の条件はひたすら運である」(司馬遼太郎)という言葉を紹介したところ、読者からこんなメールを頂戴した。
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私が住む松山市には評判の宝くじ売場があります。テレビでも全国放送されたのでご存知かもしれませんが「竹村商店」さんといいます。
昨年(2012)の年末ジャンボでも6億円を当選させ、これで四年連続のジャンボ1等です。有名なタレントさんもわざわざ足を運んで買いに来られるそうです。これが東京や大阪の都心なら分かるのですが、四国の松山でこれだけ当たるというのは、司馬さんが書いた「坂の上の雲」パワーなのかな、と地元でも評判になっています。
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たしかに『坂の上の雲ミュージアム』が松山に開館したのが2007年なので、その直後からジャンボの1等が連発しているのは単なる偶然ではないように思う。
「竹村商店」ではこのメールのあとの2015年の年末ジャンボでも1億円が2本当選している。司馬さんの運か秋山兄弟の運がきっと味方しているのだろう。
→ http://www.takarakujiuriba.com/02shop/index05.html
歴史をずっと見てきた司馬遼太郎がたどりついたひとつの結論、それが、「名将の条件はひとえに運」とは興味深い。
日露戦争でロシア・バルチック艦隊を迎え撃った日本海軍の連合艦隊。
その司令長官を誰にするか。当時、キャリアからいって日高壮之丞が選ばれると誰しもが思っていた。
だが、海軍大臣・山本権兵衛が任命したのは東郷平八郎だった。明治天皇にその理由を聞かれた山本権兵衛は、こう説明したという。
「東郷は運のいい男ですから」
その話の真偽は定かでないが、国事を託す人事を決定するとき、最後の判断基準が「運」というのは分かる気がする。
名将の条件が「幸運」の持ち主ならば、悲運の名将などはいないはず。
悲運で名将になれるわけがない。
そこで Googleで「悲運の名将」で検索してみたところ、有名な人がヒットした。プロ野球監督の西本幸雄氏(1920年- 2011年)である。
20年間の監督生活で8度のリーグ優勝を果たした。誰がみても名将である。だが、日本シリーズでは1度も優勝できず日本一に就けなかったことから、いつしか「悲運の名将」と言われるようになった。
ウィキペディアによれば、そのことを当のご本人は気にしていたらしい。こんなことを言っている。
「もし、私が本当に悲運なら戦争で死んでいるし、復員してからも野球に再会できたり、大毎・阪急・ここ(近鉄)の3チームで素晴らしい選手に巡り合えて、8度も日本シリーズに出場などできない」と反論している。
「悲運の名将」より、「幸運な凡将」と呼んでくれ、とまで言っていた西本氏。三つのチームを優勝に導いた西本監督だが、彼以外でこの記録を作ったのは三原脩と星野仙一だけである。凡将ではないことは確かである。
さて、運について考えてきたが、問題はどうしたら運が良くなるかである。
<明日につづく>