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新米取締役のひと言

ある会社の経営計画発表会が終わった。社員数十人で懇親会場に移動。そこはフカヒレが美味しい中華料理店で、私は社長の横に座るようにいわれた。10人掛けのテーブル6つほどに社員が座っていた。
専務の乾杯発声で宴が始まり、社長はテーブルにいた面々に今日の感想を聞いていった。

テーブルには、社長と私のほかに営業課長、製造主任、経理担当者、工場長など、あえて社歴や部署がかき混ぜられて座わっていた。昨年取締役に就任したばかりの山元部長(40歳、仮名)もいた。

「じゃあ、最後に山元取締役、今日の感想を聞かせてくれ」と社長。
テーブルを一巡し、ラストの山元取締役の番になったのだ。彼はこう言った。

「何しろ私は取締役を拝命してまだ二年目の若輩、新米(しんまい)役員でございます。経営のことは勉強中の身であり、本日の発表内容をうかがってますます精進を重ねて社長や会社の期待を裏切らないように努めたいと決意を新たにした次第でございます」

やけに丁寧なもの言いをする人だと思った。そのとき社長が山元取締役に言ったことばが奮っていた。

「山元君、役員に新米もベテランもないよ。引き受けた限りは立派な役員だ。そうでなきゃいかん。お客さんや社員からみればあなたの経験年数や勉強の有無なんて何ひとつ関係ない。新米、という言葉で周囲に寛大に見てもらおうというのは都合が良すぎるぞ」

空気がピシッと引き締まった。
「役員に新米もベテランもない」という言葉はその通りであり、名言である。
「役員」の文字を「社長」に変えてもそのまま通用するし、「幹部」でも「社員」でも「教師」でも「料理長」でも「プロ野球選手」でもなんでも一緒だろう。

私たちはどこかで境目を作りたがる。自分を修行途上であるように思いたがる。たしかに修行に終わりはない。だが、それを未熟であることの言い訳にしてはならない。

新米とベテラン、プロとアマ、練習と本番、研修と仕事、座禅と日常生活、仕事と個人生活、ワークとライフ、すべてにおいて境目があるように考えてしまう。だが、実は境目はない。昼と夜の境目、大人と子どもの境目、すべてない。あるのは絶えず「今」だけである。