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富山のくすり売りが売っていたもの

大柄で日焼けした精悍な顔にはしわが目立つ。声はしわがれているが、大きく強い声で「坊や、大きくなったね」と頭をなでてくれた。
もう何度もこのおじさんの顔をみているはずだ。背中にかついでいた大きな荷を降ろし、中から何かを取りだした。それは紙風船だった。
遊びに飢えていた私はその場で膨らまして弟を呼び、ふたりで遊びはじめた。
「すいませんね、いつも」と母がもどってきた。使った分のくすり代を支払うため財布を取りに行っていたのだ。

「お母さんには、これ。心のおくすりですよ」と一枚の紙を土産がわりに渡した。どこかに貼っておいてください、という。
「へえ、おもしろい標語だこと。忘れないように台所に貼らせてもらいますわ」と母も上機嫌。
富山のくすり売りはこうして親にも子にも愛され、各家庭のふところ深く入りこんでいた。

1690年(江戸時代の初めのころ)江戸城での会議の折り、三春藩の藩主が腹痛で苦しみだした。諸公が居並ぶなか非常事態である。近くにいた富山藩主の前田正甫(まえだ まさとし)がふところに携えていた反魂丹(はんごんたん)という丸薬を飲ませたところ、三春藩主はたちどころに回復したという。
地元富山で処方したくすりを前田正甫が自身の腹痛に備えるため携帯していたのが役立った。この事件で、反魂丹の薬効は江戸城中に知れ渡ることになった。全国の殿様が分けて欲しいと前田藩主に頼んだことから、富山のくすり売りが全国を行脚するようになった。

また来るね、とおじさんが帰っていった。母が台所に貼ったばかりの標語を見た。小学校低学年の私には意味不明だった。だが、最近になってネットで同じ標語を見つけた。今みれば、実によくできた標語だと感心する。

「高いつもりで低いのが教養」
「低いつもりで高いのが気位」
「深いつもりで浅いのが知識」
「浅いつもりで深いのが欲の皮」
「厚いつもりで薄いのが人情」
「薄いつもりで厚いのが面の皮」
「強いようで弱いのが根性」
「弱いようで強いのが意地」
「多いようで少ないのが分別」
「少ないようで多いのが無駄」

富山のくすり売りが売っていたのはくすりだけではなかった。