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明日を巻き込むもの

平成14年10月某日、午後8時。宮川悦夫は『リーダーのためのスピーチ講座』三日間研修の初日日程を終えて帰宅した。宿題が出ている。

普段ならたっぷり一時間は費やす夕食もそこそこに済ませ、中学生の一郎と小学生の二郎がいる子供部屋にむかった。案の定、二人はゲームに興じていた。

・・・チッ、またか。いつになったら勉強するんだ。オレが中学のころはもっと勉強してたはずだが。買い与えたあの学習デスクは飾りものか?・・・
と内心で苦々しく思った。

だが、今日は子供に説教するのが目当てではない。ある実験台になってもらおうというわけだ。

ゲームに熱中する二人に向かって悦夫は、「みんな、ちょっと聞いてくれ。」と話しかけた。
「あっ、お父さん帰ってたの?おかえりなさい。」と一郎が首だけをこちらに向けた。二郎は見向きもしない。

「二人とも、ゲームはそのへんでやめてくれ。今日はお父さんの話を聞いてもらいたいんだ。」
「いいけど、その話、長くなるの?」と二郎。
「う~ん、ちょっと長くなるかも知れない。まず、二人とも椅子に座ってほしい。お父さんはその前に立って話をする。ここに置いてある時計でちょうど二分間だけ話す。」
「たった二分?」
「そう一回はたった二分。時間が来たら合図してほしい。それを何回か練習する。きっと30回くらいにはなるはずだ。」
「・・・30回というと、えぇ!?」

絶句するふたりに向かって、悦夫はスピーチメモを見ながらスピーチを始めた。

「宮川悦夫です。今日は『私を変えた二人の社長』というテーマでお話しします。」と前置きし、本題に入った。子供達は白けきった表情で時計の針を凝視するのみであった。

一回目の二分間スピーチは我ながら大失敗だった。話の脈絡がなっていない。しどろもどろだ。それに我が子の前で緊張するとは恥ずかしい。子供に感想を聞く勇気もない。スピーチメモを修正し、二回目の練習。そして三回、四回。

感想を聞くと、一郎が「う~ん、仕事の話みたいだから、僕にはほとんどわからない。」という。

そうか、眠いからあくびしているのでなく、内容がつまらないからなんだ、と悦夫は合点がいった。

練習をくり返すうちに、『私を変えた二人の社長』という話の内容は、仕事の話なんかじゃない。一人の人間が周囲にどれほど大きな影響を与えているのかを、良い例と悪い例とで話したい。“まず志ありき”なんだということを言いたい。これは、小中学生にとっても大切な話なんだ、ということに悦夫自身が気づき始めた。

五回、六回・・・10回。徐々に悦夫は、自分のペースをつかみはじめた。ほとんどメモを見ずに話すことができるまでになった。抑揚を付けてみた、会話調を取り入れた、ジェスチャーを入れてみた、顔の表情を変えてみた、間に工夫をこらした。そして、子供達の反応を見ながら言い回しを変えてみた。そして15回、20回、・・・ついに30回。

ドラマが起きた!

悦夫自身の感情にいつしか灼熱の炎がともっていた。熱狂的状況に包まれてしまったのだ。話芸とでもいうべき二分間のスピーチは完成し、悦夫のメッセージは彼の肉体と精神の一部と化した。まさしく、『私を変えた二人の社長』のメッセージは悦夫の魂の叫びとなった。

疲労こんぱいの子供たちも、いつしか父親のスピーチの一節をそらんじるまでになっていた。子供にも悦夫の主張と熱意が伝染したようだ。

米国大統領の中でも、屈指のスピーチ上手といわれるウッドローが言う。

1.私に1時間の話をせよと言うなら準備の時間はいらない
2.私に20分の話をせよと言うなら、2時間の準備時間がほしい
3.私に5分の話をせとと言うなら、一日と一晩ほしい

スピーチは短いほど良い。短い時間のなかにすべてを凝縮するのだ。短いから何度でも練習できる。

経営者が発するわが社の理念、方針、ビジョンはこうして練り上げられたものでなければならない。

・「大切なのは熱狂的状況をつくることだ」(ピカソ)
・「安定した新しいメディアを構築する秘訣は、情熱・人材・忍耐力・見通し、そしてパラノイア(偏執狂)になることだ」
(AOL創業者:スティーブ・ケース)
・「思想を維持する精神は狂気でなければならない」(吉田松陰)
・「経営者が語るべきは『言霊』である」(田坂広志)
・「正論では革命をおこせない。革命をおこすものは僻論(へきろん)である」(西郷隆盛)
・「エンスージアズム(魂のこもった熱意)なしには偉大なものは何一つとして達成されなかった」(エマーソン)

リーダーとはこうした熱意を自己生成できる人をいう。