歴史ドラマをみていると、秀吉が若いころ、信長を「お館様」「お館様」と呼んで慕う場面がある。信長だけでなく武田信玄も家臣からそう呼ばれている。それを見るたびに、なぜ主人のことをそう呼ぶのだろうかという疑問が私のなかにあった。主人はいつも館に住んでいるからそう呼ぶのかな、という想像をしていたわけだが、最近になって、ようやくその理由がわかった。それは当て字だったのである。
室町幕府の免許制のなかに「屋形号」というものがあり、幕府から公認された公家や武家ことを「屋形」といった。その主人のことを「お屋形様」といい、いまでも「屋形船」などの呼称にそれが残っている。いつしかそれが「お館様」や「親方様」という字が当てられるようになったというわけだ。余談ながら、「屋形号」の上には「御所号」というのもあったそうだ。
「お館様」のためにというのは、「お屋形様」のためにと書くのが正しいわけだが、幕府公認ではない「おやかた」の場合は、「お館」が正しいのだろう。
さて、プロ野球もあと二週間で開幕する。今年もセリーグは巨人が、パリーグでは大型補強のソフトバンクの前評判が高い。
では、誰が最も「お屋形様」・織田信長に近い監督だろうか。私はその筆頭は巨人の原辰徳監督だと思っている。その理由は非情な采配に徹することができる冷淡さと、くり返しチャンスを与える度量の広さをあわせもっているからである。
「センターというポジションにはだらしない人が多すぎる」と昨日のオープン戦では橋本を途中交代させ、ベンチにいたセンターの大田ではなく内野手の藤村にセンターを守らせた。センターに適任者がいないとなると内野手にまで白羽の矢を立てる。「外野できるか?」と聞かれた藤村は「はい、できます」と即答しチャンスをつかんだ。一方、変えられた橋本は「(本職の)大田に交代させられるより屈辱というか悔しかった」と唇をかんでいる。そこまでして「だらしない」選手の起用を嫌う。それは、打つことだけではない。守る方でも走る方でも及第点に達していなければ巨人のレギュラーはつとまらない。そうした理想の高さと、選手どうしの熾烈な競争、そして意識の高さがチームの強さにつながっているはずだ。