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O 社長のこの10年

10年前のある日、「がんばれ!社長」でこんな内容の記事をお届けした。

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今から3年前、機械設計事務所・O設計のO社長が周囲に向かってこんな宣言をした。

「これから私は機械設計の職人から経営のプロになる」

O は愛知県の大手メーカーの機械設計室から独立開業して、ちょうど20年になっていた。10名程度の社員を抱える設計事務所として業績は安定し、高級車に乗ってゴルフ場に通えるほどにある程度の成功をおさめていた。

しかしOの内心では、まったく満足していなかった。「このままじゃ、町の定食屋のオヤジみたく、一代限りの成功じゃないか」

Oは、武沢の経営講座の門をたたくことにした。冒頭で武沢が言った。
・1000万円以下の利益目標など、大の大人が掲げる目標じゃない
・気宇壮大に顧客創造、市場創造、雇用創造の絵を描こう
・「身はたとへ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
という吉田松陰の辞世の句があるように、あなたの身が朽ちても、残った人が引き継いでくれるような価値観や信条を作ってみよう。それがあるかないかが個人商店と会社経営の違いだ。

O の 心にそれらが突き刺さったという。

「物わかりがわるいものですから」Oは四ヶ月におよぶ「経営講座」に3回も続けて通った。要するに、一年間も講座に通いつづけたわけだ。

その間、経営計画書の完成度を高め、求人もスタートさせた。今まで中途採用一本だった求人を新卒学生の採用に切り替えた。O 自身が先生になって社員教育もはじめた。メニューは人間教育と技術教育の二本立て。

Oの会社は変わり始めた。Oが出張やセミナーで会社にいなくても、組織として会社が回りだした。人が育ち、業績も急伸し始めた。

「学校の偏差値エリートはどうぞ大きな会社に行ってください。うちの会社はそんなエリートは必要ありませんし、第一、来てくれないでしょう。それを嘆くのを私はやめました。むしろ、高卒OK、文化系OKです。うちはきっちりと考え方をすりあわせながら、技術もお教えしながらできる範囲のことを要求していく指導法なので、社員は自信を持ち始めてくれるし、入社時よりもだんだんと目が輝いてきてくれます。この三年間、社員は誰もやめていません」

今では社員数は3倍の36名を数えるまでになった。O社長(62才)は出会った3年前より今の方が若い。

「身はたとへ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」を地で行っておられるようだ。
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あれから10年経った今朝、O 社長が久しぶりにメールをくれた。それにはこうあった。

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武沢先生、ご無沙汰致しております。
丁度10年前の2006年5月17日、『おやじさんと0社長』のメルマガで私を紹介してくださったことが思い出されます。武沢先生のお蔭で、今期は、年商15億円、社員数150名の会社になりました。お礼を申し上げます。自称・武沢先生の隠れファンO より。
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進化が止まらない。この10年でまた5倍も大きくなられた。自分のことのようにうれしいし「御礼に!」といただいたブルーのネクタイが鮮やかに思い出された。

私は10年前の O 社長と同じ年齢になっている。
「次の10年、私に負けちゃならんぞ!」と O 社長に励まされた気分でもある。