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アインシュタインが見た日本

外国人の前に立つとニヤニヤ笑うだけで「イエス・ノー」の意思表示もしない日本人っていったい何なんだ?ちょっと不気味じゃない。日本人の「イエス」って、実際のところは「ノー」なんでしょ。それって卑怯なんだよね。

というような日本人批判を聞くときがある。いや、こうした批判は明治開国以来ずっと続いているらしい。一見するともっともらしく聞こえるが・・・。

だが、決してそんな批判に屈してはいけない。日本人は日本人だ。西洋人と互してコミュニケーションできる日本人が増えるのは歓迎だが、日本人を不気味とか卑怯とか言わせておいてはならない。ましてや、そうした発言をあなた自身がしてはならない。それは、日本の美意識に対する理解の欠如にほかならない。

西洋人からみると不思議に思える日本人の態度・ふるまいは、日本人固有の意識から生まれているものだ。また、そのふるまいを理解してもらおうと、外国人に説明するのもむずかしい。

だからあえて私は今日の「がんばれ社長!」で、その説明を試みようと思う。いや、私のツヨ~イ味方をご紹介し、彼に語ってもらおう。その人の名は、アルバート・アインシュタイン。そう、あの相対性理論のアインシュタイン博士だ。

4/20(日)、九州は「門司港レトロ」で私は貴重なものを発見した。アインシュタイン夫妻が来日した際、泊まったホテルの客室がその当時のままに復元され、氏の日記なども公開されているのだ。約一時間、博士と私は時空を超えて、なにかを共有した。

「力のある国だ」というのが日本を見た氏の第一印象だった。アインシュタイン博士夫妻は、日本の出版社「改造社」の招きによって、大正11年11月に日本にやってきた。上海から神戸へ向かう関門海峡の両岸の街の灯りをみて、そう思ったという。ちなみに、氏がノーベル賞を取ったという知らせは、上海への船中で聞いたばかりである。

博士の日記「日本旅行雑感」から抜粋し、ご紹介しよう。

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私はこの数年、たびたび世界中を旅行して回った。そもそも学者らしからぬ処かも知れぬ。私のような人間は本来、静かに自分の部屋に引きこもり、勉強をすべきなのだろう。山本氏より日本に招かれたとき、私は数ヶ月におよぶに違いないこの大旅行への決心をすぐに固めた。
だがそれは、日本をこの目で見る機会をみすみす逃すならば、自らを決して許せぬであろうと云う、唯一の理由からの決心であった。

ベルリンに暮らしてこの方、私が日本に招かれたと知れたときほど、人に心底うらやましがられたことはない。私たちにとって神秘の薄衣に覆われた国といえば日本に比すべきはなかったからである。

(中略)

私が日本に着いて、まだ二週間をへたのみである。しかも多くは依然として到着の当日同様、神秘めいたままであるとはいえ、いささかを理解するすべを心得たとはいえよう。日本には、欧米人に対する気おくれが見られる点である。我が国における教育制度は、個としての存在をかけた闘いを、あたうかぎり有利な条件下で、優勢に展開する能力の付与を唯一の目的としている。

ことに、都会においては個人主義が徹底し、全力を挙げた戦争がところかまわず認められ、人はより多くのぜいたくや享楽を求め、熱に浮かされたのごとく働いている。

家族の絆はゆるみ、いにしえの芸術や徳は日常に然したる影響を与えていない。個々人の孤立は、生存競争のもたらす当然の帰結と見放され、彼の明るい無邪気さを人間から奪い取る。

合理性を旨とする教育、これが我が国のごとき状況下の生活実利にとり、不可欠ではあろうが、個々人のこうした生活態度を一層とげとげしいものにし、また一人の人間の孤独をより強く意識にきざみつけるのである。
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このあと博士の日記は、「日本では全く異なっている」と続く。