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藤田義輔の Wish-List 秘話

「私は盲目ですが、セミナーに参加してもよろしいですか?」がんばれ!社長の事務局にそんなメールが届いた。差出人は藤田義輔(仮名、60歳)で、関東で人材派遣の会社を経営しておられる。

「大丈夫ですよ。盲目の方が困らないような運営を武沢が心がけますので、お気軽にご参加ください」と事務局が返答した。そのセミナーは『Wish-List から始める経営計画書づくり』というもので、受講者は藤田を含めて15人ほどであった。いつも藤田は一人で移動する。新幹線や地下鉄での移動にはれているが、それでも介添えがあると安心感がまるで違う。

盲目者用のパソコンソフトがあり、メールや文書も音声読みあげしてくれるので、文字判読には困らない。セミナーで困ることといえば、紙の資料やホワイトボードに書かれた文字が読めないこと。その日、武沢はすべての資料をパソコンデータにして藤田に手渡した。

Wish-List の解説が終わり、いよいよ Excel をつかって Wish-Listづくりを始める時間になった。「30分で50個以上の Wish-List を書いてみよう」と武沢。さっそく、藤田も得意のキー入力で作業にとりかかった。

藤田がささやかで小さな願望を書いているのをみて、武沢が言った。

「やれそうなことや、手に入りそうな事ばかりを書いていても意味がないですよ。もっとスケール感を大きくもって、気宇壮大に取り組んでみませんか。発想の殻を自ら破るトレーニングのつもりで。それには、まず、質より量を重視して思いついたことを次々に書きましょう」

藤田は武沢にそんな圧力をかけられ、内心でテンパッていた。作り笑いを浮かべていたものの、脳みそがグルグルして頭が爆発しそうだった。

セミナーのあとも藤田は Wish-List づくりに夢中になり、一週間かけて1,140個の Wish を書きあげた。武沢にメールしてそれをしらせる、あなたの年齢で1,000個オーバーは凄い、と驚いていた。翌年(2012年)、今度は藤田自身も驚くことになる。作りあげた Wish-List の2割近くにあたる、200個以上の Wish を実現してしまったからだ。いままでの藤田の人生でこんなに思い通りになった一年はない。

ただ、藤田自身は分かっている。
「Wish を実現した」とはいっても、大半は些細なものばかりだと。

「会社まで歩いて行く」
「日曜日も普段通りに起きる」
「週に二回の休肝日をつくる」
「脳ドックを受診する」
「電子書籍を読む」

こんな子どもじみた Wish を実現したところで自慢できない。まだまだ自分は何もなし遂げてはいないと。

またしばらくして武沢から「Wish-List は役立っていますか?」というメールが藤田のもとにとどいた。せっかくの機会だからと、藤田は Wish-List のファイルを開き、リストを読んでみた。5年前にあんなことを書いのか、こんな悩みを抱えていたのか、と感慨深く読み進んだ。時には吹き出してしまうような大胆なことが書いてあり、藤田にとってそれは楽しい時間だった。

だが少しずつ悔しい気分も芽生えていった。なぜなら、成長しないと実現できないリストだけが、未達のままたくさん残っていたからだ。やれそうなことだけやって、やれそうもないことはそのまま放置されていた。一昨年、社長を退任して会長に退き、第二の人生を模索し始めていた藤田。これからの人生もやれることだけをやる生き方でよいのか、と自分に問うた。

今度こそ夢のために格闘したい。もう一度リストをゼロから書き換えることにした。いままで社長として20年以上コツコツとやり続けてきたのは、自分と家族、社員や社員の家族を守るため。どちらかというと責任感や義務感で経営してきた。

今年、65歳になる。もう一度ゼロから Wish-List を始める。今度は、誰のためでもない。自分のための人生にしたい。本当にやりたい仕事や冒険に夢中になるために Wish-List を作ろうと思った。おのずと、質重視の Wish-List になるだろう。まず、藤田が決めたこと、それは自分一人だけの小さな会社を作り、オフィスも借りることだ。家にいては厄介者扱いされるだけだ。

もう一度ベンチャー。今度はおじさんベンチャー、俺のベンチャーだ。新会社の業務内容や数字計画を作る必要を感じたとき、また武沢の講座に出てみようと藤田は考えている。

※この内容は、実在する F さんから今朝頂戴したメールをもとに書きました。武沢