パンの歴史は古い。6000年前のメソポタミアのころから小麦粉を水でこねて焼いたものを食べており、それがパンの原形とされている。その後、世界中で工夫が凝らされ、今では5000種類とも6000種類ともいわれるパンがある。日本には、信長の時代(安土桃山時代)にポルトガル宣教師によってパンが伝来した。しかし、そのときにはあまり普及した形跡がない。
江戸時代の書物にパンの製法が載っているものの、江戸っ子がパンを食べていたという記録はほとんど無いそうだ。キリスト教徒の食べ物と見られていたのか、江戸っ子の口に合わなかったのかいずれかであろう。ところが、江戸後期になると様相が一変する。江川太郎左衛門が国防上の理由から「軍用パン」を採用している。米と違って水を必要とせず、保存性も高いことから「軍用パン」を導入したという。
その後、日本でもパンは爆発的に発展した。明治維新以降、洋風化する日本と日本人。食事にも、ワインや肉、チーズ、ハム、パンなどがテーブルに並ぶようになっていった。
そして今や日本は世界に冠たるパン大国といえる。たくさんのパンが手軽に買えるという意味で、外国人がみたら驚くほど様々なパンが作られ、売られている。日本独自のパンも多い。あんパン、ジャムパン、クリームパン、メロンパン、チョコレートパン、カレーパン、コロッケパン、焼きそばパン、・・・、すべて日本オリジナルのパンである。
買う方としては大変ありがたいが、作る方の苦労は並大抵ではないだろう。主食になるパンから、調理パン、菓子パンなど、すべて作っていたらあっという間に数十種類にもなる。しかもパンは朝食に好まれることから、パン職人の朝は猛烈に早い。さらには無添加食品が好まれることから、パンの消費期限は2~3日以内と短い。その結果、毎日早く起きて長時間働き、大量にパンを作って、スタッフを雇って宣伝費も使ってたくさんのパンを売る。それでも残ったパンは毎日捨てねばならないし、お店の利益やキャッシュが増えていくことはほとんどない、という苦しいパン屋になってしまう。「何やってるんだろう私」と凹むパン屋は少なくない。
そこで、パン屋のご主人や経営者は独自の工夫を懲らしてきた。
「食パンだけ」というように一部のパンにメニューを特化することで成功しているパン屋がある。あるいは、毎日宅配することで生き残ったパン屋もある。イートイン OK(店内飲食可)で成長したパン屋もある。
なかには、ヨーロッパのパン屋のように、パンを捨てない(残さない)ことを前提にビジネスモデルを変えてしまったこういうパン屋もある。
ブログ「捨てないパン屋」 → http://derien.jp/blog/posts/3527
「パン屋の話か。あまり関係ないな」ではなく、パン屋のこうした懸命な取り組みから私たちも教えられ、気づかされることがあるはずだ。