文中の登場人物は皆さん経営者だが、敬称略。
武沢から強くすすめられ、沖縄の米須は二年前からマンダラ手帳を使いはじめた。また、那覇に会社をもつ上地も昨年からスタッフ四人にA5のマンダラ手帳を支給していた。米須の友人・新垣もスマホだけでなく今年から紙の手帳も使おうとマンダラ手帳に注目していた。
今年の春のことである。
例年、11月から12月にかけて国内主要都市で開催されているマンダラ手帳活用セミナーをうらやましく思っていた米須は武沢にこう聞いた。
「松村先生(マンダラ手帳開発者、以下「先生」)を沖縄にお招きし、手帳活用セミナーを開くにはどうすればよいですか」
「熱意をご覧に入れることですよ」と武沢。
米須は一呼吸考えてから、決断した。
「ではマンダラ手帳を百冊買い取ります。先生の経費もすべて私が負担します。そのセンで先生に交渉していただけませんか。私としてはマンダラ手帳の輪を沖縄に広げたい一心です」
米須の無私な申し出に先生から早速「快諾」をいただいた。
それから8ヶ月、米須は100冊の手帳を売り切った。そして松村先生の年末特別講演には 70名の受講者を集めた。一年で最も忙しい日であろう12月21日(金)に講演会を設定したのもいかにも米須らしいところである。
準備期間中、武沢は懸念していた。
「万一、手帳がたくさん売れ残ったらどうしよう」
「万一、人が集まらなかったらどうなるのだろう」
だが、主催者の米須が腹をくくっている以上、他人が心配するのも妙な話だと考え直し、心配するのをやめた。
そしていよいよ 12月21日の講演会を迎えた。
この日、コートにマフラーで沖縄入りした武沢だったが、現地は「夏日」だった。日中の最高気温が 25度に達しており、スーツが冬物であることすら悔いた。
先生もオシャレなマフラーを巻いて来られたがいつしかそれは首ではなくカバンを巻く布に変わっていた。
講演会では、マンダラクィーンの佐藤さん(札幌)も駆けつけてくれた。佐藤さんと武沢が手帳ユーザーとして体験発表をした。
そして先生のマンダラ講演は大成功で、集まった沖縄の皆さんが立ち去りがたい雰囲気だった。
閉会後、有志で近くのレストランに行った。目の前の鉄板でパフォーマンスを見せながら肉を焼いてくれるレストランで、那覇でも人気店らしい。
「大したもんだ」「こんなお店があるんですねぇ」「これはいい」とすこぶる上機嫌の先生をみて、米須はようやく肩の荷がおりた。
先生と武沢があまりに愉快そうに肉を食べるせいか、お店の経営者が挨拶にこられた。パフォーマンスを見せてくれたスタッフも「こんなに素直に喜んでいただけるお客様は久しぶりです」と感激していた。
翌日は沖縄屈指のガイド・大谷さんにお願いして沖縄の南部をご案内いただいた。
沖縄は久しぶりという先生を「平和祈念公園」にご案内したのだった。
同行の武沢も、展示された写真や動画などの展示物をみて今さらながらに沖縄戦の凄まじさやむごさを肌で感じた。
玉泉洞では創作エイサーのショーをみた。30分にわたって繰り広げられたエイサーの迫力に皆、息をのんだ。
それにしても大谷さんのガイドは見事である。何を尋ねても即答して下さる。知らない話題がひとつもない。文化、芸能、歴史、風習、風俗、流行など、すべてにおいて通じ、聞く人を沖縄好きにしてゆく。
二日目の夜、先生を囲む夕食会が行われた。新垣の義理の母が経営する郷土料理店だった。味付けの良さが定評の店だ。
そちらにも15人が駆けつけた。オリオンビールや泡盛で何度も乾杯しながら先生にあらためて御礼を述べる米須。そして、「来年もお越しいただけませんか」とオファーを出した。
「書いてない予定は来られませんから」とマンダラ手帳を取り出す先生。それは「今から日程を決めましょう」という意思表示だった。
その結果、決まったこと。
来年は12月13日に宮古島で、翌日は沖縄本島でマンダラ活用セミナーが開催されるということ。そして沖縄におけるマンダラ手帳の輪を今年の二倍以上にしておくということが約束された。
沖縄に負けず「がんばれ!社長」通販のホームページでもマンダラ手帳はほぼ完売している。ドリームガールズプロジェクトの商品をわずかに残すのみである。
★2013年マンダラ手帳
→ http://ganbare.pk.shopserve.jp/SHOP/259101/list.html