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人間百年時代の人生設計

・・・人間五十年、化天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり、一度生を享け、滅せぬもののあるべきか・・・

この謡曲「敦盛」の一節を信長が好んで口ずさみ、舞ったという。1582年6月2日、本能寺の変でもこれを舞い、世を去っていった信長、享年四十八。

「人間五十年」の二年前のことである。

あれから434年経った。日本人の寿命は女性87歳、男性81歳と、6割~7割も伸びた。このままだと人間百年の時代も目前である。

ここまでくると、私たちも人生観を改める必要がある。20歳前後までが学生。そこから働き始め、60歳ないし70歳まで仕事と家族のために懸命に働く。寸暇を惜しんでスポーツや娯楽を楽しむのもこのときだ。

そして70歳ぐらいを境に定年退職したり、後継者にバトンタッチし、悠々自適の生活を始める。そこから農業にいそしむ人、文筆に励む人、海外で羽根をのばす人など様々だ。そして、おおむね10年から15年かけて命の炎を燃やし尽くす。

それが従来型の人生設計ではなかろうか。

だが、人間の寿命が百年となると70歳で引退したあともまだ30年ある。70年かけて蓄積してきた経験と学習の叡智を世の中のために使わなければ、国家の損失でもある。

そこで、次のような人生設計が必要になる。

1.第一期 0歳~20歳 (素養と学問と体力を養う)
2.第二期 20歳~60歳 (自己と家族と社会のために働く期間)・・・義務と責任で多少のことは我慢してでも働く期間
3.第三期 60歳~100歳 (知恵を他人や社会のために活かす期間)・・・好きな人と好きなことをして世の中に役立つ期間

真の青春は第三期である。

92歳で今なお著述業の最前線で活躍中の外山滋比古氏は、「人生二毛作」を提唱しておられる。二期作ではなく、二毛作というところがミソで、異なる作物を育てる必要があるわけだ。要するに、生きる目的を変えようということである。それを可能にするには、加齢とともに衰えていく人生ではなく、年々進歩する生き方が求められる。体力や記憶力など、衰えていくものもあるが、知恵や洞察力など研ぎ澄まされいくものを最大限に利用しよう。

そのために私が思うことは、体力、知力、気力の三つを若いころから意識して鍛えていく必要がある。20歳で学ぶことをやめてしまうのではなく、社会人になってからも学校や専門学校に通って知識を技術をアップデートするよう知力鍛錬が求められる。

第三期が近づくと、学ぶべきテーマも注意深く選択する必要がある。興味のおもむくままに話題の本ばかりを追いかけていてはいけない。多くの人が読まないような本を読み、誰も追いかけないような師を追い、誰も行かないようなところへ旅しよう。そして、これは意外に大切なことなのだが、誰かのマネをしたり、著名人や著名企業の名を使って自分を誇るようなチープなマネは第三期において厳に慎もう。そうしたことが、あなたを個性的で価値ある存在にさせる基本になる。

スタミナや筋力という意味での体力は徐々に衰える。それにかわって柔軟性や身軽さといったしなやかな身体づくりやエコロジーな体質づくりなら衰え知らずで勝負できる。いくつになっても筋トレやジョギングばかりが最適なスポーツとは限らないのだ。それと、第三期における体調管理として第二期と大きく異なるのは、規則正しい生活である。たまに羽目をはずすとしても決めた時間内であることだ。

気力を養うには、人生ビジョンを新たにつくり直す必要が出てくる。通常は会社を定年退職してから先の計画はぼんやりとしたイメージだけをもつことが多い。だが、そうではなく、人生百年時代を想定して明確なビジョンを作ろう。また、若い人と意識的に交わる必要がある。そういった場を積極的に作ったり、参加したりして新しい人的ネットワークを構築しよう。

先の外山滋比古氏などは、「賞味期限切れの友人」として若いころの友人との関係を意識して「捨てていけ」とおっしゃる。それぐらいの気持ちが大切で、後生大事に学友や旧友と交わってばかりいては、老けこむもとである。大切にすべき友人はたえずたくさんいるのだ。

敦盛にある「人間五十年、化天のうちをくらぶれば、・・・」は「人間百年、・・・・、夢幻のごとくなり、一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」に変更せねばならないだろう。

五十年が百年に伸びたところで「夢幻の如くなり」に変わりはないが、生きる術は少々変わってくるはずである。