昨日のつづき。
「アジアマーケットをオレに任せろ。何なら製造も請け負おうか」と申し出たケンの顔をまじまじと見つめるジョン。おもむろにこう言った。「複数の日本企業からすでにオファーが入っている。あんたで10人めだ、ケン。俺たちは即答しない。なぜなら少しでも力のある相手、やる気のある相手を見きわめたいからだ。決定権は全部オレがもっているから、今後の連絡はオレに直接言ってきてくれ」「わかった、そうする。さし当たってはどんな企画書を用意すればいい?」「ケンが考えている販売数量とその達成計画を提出してほしい。それに取り引き条件もだ」「仕切り値の希望を出せというのか?」「そうだ、支払い条件もな。製造も任せろと言うが、海外で作る計画はないから、売ることのみに専念する計画を出してくれ」「わかった。一週間ほどでメールする」
しばらくして分かったことだが、「エミリージーンズ」に外国人がアプローチしてきたのはケンが最初だった。タクシードライバーあがりのジョンにとって、ファッションビジネスは門外漢。ケンが帰った直後に、腕ききの弁護士と貿易コンサルタントを雇ったことが後日、ケンの耳にもはいった。
結局、ケンが経営する「パッション通商」と「エミリージーンズ」が契約事項に合意し、双方が調印したのは半年以上経ってからだった。製品の量産体制も整い、日本への出荷が始まった。
その当時、パッション通商のオフィスは京都にあった。自宅も京都駅にほど近いマンションで、一週間おきに京都と東京を往復する日々を送っていたケン。
契約がまとまって東京に旅立つ朝、ケンは妻の美津子にこう言った。
「今後のうちの主力商品になるかもしれないシカゴ製のジーンズを明日から売り歩く。大手デパートのバイヤー巡りから始まって有力なショップや雑誌・新聞社などもまわってくるので、今回は1~2週間ほど帰れない可能性があるよ」「あら、長くなるのね。肌着や Y シャツはちゃんとホテルのランドリーに出すのよ」「わかってるよ、子供じゃないんだから。連絡はマメに入れるから」
結局、ケンが京都の自宅に帰ることができたのは半年後だった。しかも生活の基盤を京都から東京の新宿へ移すための引っ越し作業で京都にもどったのだ。「エミリージーンズ」が売れに売れている。連日、ひきあいがとまらない。いままでジーンズに力を入れてこなかったデパートが、この商品を核としてジーンズコーナーを拡充させていった。社長みずからやってきた地方デパートもあった。
年商2億だったケンの会社は「エミリージーンズ」の独占販売のおかげでわずか数年間で、5倍の10億企業になった。都内のホテルをベースにして行商していたケンが、新宿の一等地にオフィスを構え、10人近い社員を雇うようになった。吉祥寺に自宅マンションも購入した。
「エミリージーンズ」が世界中で売れまくったことから一気にライバル製品も増えた。だが強いブランド力のおかげで先々の展望はさらに明るく、ケンの会社も50億や100億企業を夢みるまでになった。万々歳のハッピーエンド物語かに思えたが、2015年の春ごろから妙な噂がケンの耳に入りはじめた。それらはすべてジョンに関するもので、真偽のほどは分からない。
一気に富豪の仲間入りを果たしたジョンが、酒やドラッグに溺れているとか、ドラッグ所持で警察に逮捕されたが金の力ですぐに釈放されたというものなど、あやしげな話ばかりだ。「妻のエミリーに DV を働いている」という聞き捨てならないものもあった。ケンは心配になり、エミリーに電話することにした。
<明日につづく>