※この物語はフィクションであり、会社名、個人名はすべて架空のものです
1月7日号のつづき。
1/7(木)号 → https://e-comon.jp/post-17322/
株式会社パッション通商の”ケン”こと沢藤健太社長(50)のもとに訃報が飛びこんできた。シカゴのジョンが亡くなったというのだ。
商社マンから独立し、アパレル商社を立ち上げたケンにとって、美脚ジーンズのトップメーカー「エミリージーンズ」のジョンは苦手な相手だった。ユダヤ人の金儲け上手はよく知っていたが、いつもケンの手の内を読んで先手を仕掛けてくる相手がジョンだったのだ。
ジョンがかつてシカゴでタクシードライバーをしていたころ、デパート店員を辞めたばかりのエミリーと親しくなっている。彼女はファッションデザイナーになるべく、今、ジーンズの開発をしているのだという。女性のスタイルにフィットしたセクシーなジーンズを開発すべく、エミリーはジーンズ工場と直接かけあっていた。どうしても足りないお金500ドルをジョンに無心したことから、ジョンはエミリーの共同経営者の立場におさまった。
ようやくの思いで完成させた30本の「エミリージーンズ」を、元の勤務先であるデパートに持ち込んだエミリー。バイヤーは「悪くないね」と言ってくれた。そして、「ひと月ぐらいしたら、販売状況について連絡を入れるから」とも言ってくれた。だが、エミリーの電話が鳴ったのはわずか三日後のことだった。受話口の向こうでバイヤーが興奮した声で「Sold-out(完売した)」と言っている。エミリーは電話を落としそうになった。
「至急、エミリージーンズを増産してほしい」というが、資金がないエミリーは、増産分だけのお金をデパートに前借りして、前回の2倍の量にあたる60本をつくり、持ち込んだ。ところが、それも2週間足らずで完売してしまったのだ。
その出来事を知ったジョンはエミリーを訪ねた。
「俺、タクシーをやめたから」という。そしてバラの花束を差し出しながらこう言った。
「今日から俺はエミリーのパートナーに専念しようと思う。ビジネスのパートナーはもちろん、君の人生のパートナーにもなりたいんだ。いいだろう?」
「本気なの?」
「ああ、ぼくは真剣だ。そして『エミリージーンズ』を全米で、いや、世界でナンバーワンのジーンズブランドにしようじゃないか」とジョンは言った。
そのとき、花束のなかにダイヤモンドを見つけたエミリーはジョンにかけより抱きついた。
シカゴの美脚ジーンズが全米注目のファッションアイテムになりつつある、というニュースがケンの耳に入ったのは半年後のことだった。写真をみたとき「きれいなデザインだな」と思ったケン。ロンドンでのダウンジャケットセレクションを視察したあと、シカゴまで足を伸ばすことにした。
シカゴのデパートで売られていた「エミリージーンズ」の実物を見た瞬間、ケンに戦慄が走った。「なんてオシャレなんだ、日本でも絶対売れる!」
その場でエミリーの連絡先を調べ、電話した。
「アジアマーケットを俺に任せてみないか。売ってみせる自信はある」と伝えた。エミリーは静かな口調でこう言った。「海外出荷ができるメドはまだ立ってないわ。でも日本には興味があるから、15分で良ければ明日の午後に時間を作るわ」と言ってくれた。「感謝する、じゃあ13時きっかりに訪問するから」と電話を切ったケンはそのとき44歳。30歳になったばかりのエミリーはひとまわり以上年下だが、このビジネスでは年齢など何一つ意味をもたない。
翌日、エミリーの会社を訪ねた。すでに全米の主要デパートで「エミリージーンズ」を販売する直前のころであり、おびただしい量の製品が流通センターに集荷され、次々に出荷されていた。倉庫の脇にある現場事務所のような小さな場所がエミリーたちのオフィスだった。入り口で立ちつくすケンを見つけ、声をかけてきたのはジョンだった。
「お前かい、アジアを任せろと言っているのは?」
190センチはあろうかという大男で、酒で喉がつぶれたのか、しわがれた重低音の声である。迫力充分だ。横にいたのがエミリーで、ジュリアロバーツ似の美人だった。見てすぐわかるエミリージーンズを履いていた。
そこにあった小さな応接スペースに三人が座った。コーヒーの一杯も出る気配がないので、ケンは世間話もせずに要件を切りだした。
「アジア全域の独占販売権をオレにほしい。もし生産が追いつかないというなら、アジアでの生産も任せてくれていい。オレと組むことであなたたちを満足させる自信があるがどうだ?」
「エミリー、ニューヨークのファッション誌から取材依頼よ」
スタッフに呼ばれたエミリーは席を立っていった。ジョンとケンはその場に残された。
<明日につづく>