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意外に感じることを受け入れる

この冬、あるところで講演した。

アメリカのある州で笑顔条例を定めている町があり、笑顔を忘れて不機嫌にしている市民は”逮捕”される。これは、1948年当時の市長が半分冗談で議会に提出した法案がそのまま通ってしまったもの。以来70年近くの間、逮捕者はまだ表れていないときく。ことのきっかけは、冬の寒さが非常に厳しい町で、外を出歩く市民の表情も皆、とても厳しかった。それを見かねた当時の市長が笑顔条例を作った。今では町全体が笑顔であふれているはずなので、こんな条例も悪くないし、応用のヒントがたくさん隠れているエピソードではなかろうか。

そんな話題を笑顔たっぷりでお話ししたところ、最前列にいる20代の若者がぶ然とした顔をしている。私も話している途中から彼の表情が気になっていたので話しかけてみた。

「何ならこのセミナー会場でも笑顔を条例にしましょうか?」と冗談まじりに言うと、彼は「ちょっといいですか?」と手を挙げた。どうやら異論があるらしく、おもむろに立ち上がった。

・・・僕も人口数万人の町に住んでいます。その町と規模が近いように思いますし、冬の朝などはとても寒くて、みなさん不機嫌そうな顔で足早に歩いています。でもそんな条例をうちの市民が受け入れるかというと否定的です。そのアメリカにある町はなんという町ですか?フィクションではなく、本当に実話ですか?もし実話なら、私はそんな町の市民になりたいとは思いません。外を歩くときだけ笑顔を強要されて、家にいるときは仏頂面しているのが目にみえます。笑顔は自然に出るものであって条例で縛られるものではないと思います・・

自分に当てはめて話を聞く姿勢はすばらしい。まだ20代なのに、堂々と持論を述べる度胸も見上げたものである。そして彼は何ひとつ間違ったことを述べていない。彼がまだ学生であるならば、優秀な成績をおさめるであろう。

だが私は次のようなことを彼に申しあげた。

「あなた、今日は受講料を払ってここに来ているのでしょ。しかも平日の貴重な時間を割いてこの講演会に来たのですよね。だったら持論はいったん脇において、起業家的な姿勢で学びなさいよ。あなたの学習姿勢は学生的だ。今のあなたが意外に感じることのなかにも真理がたくさん潜んでいる可能性があるのですよ」

「起業家的と学生的の違いは何ですか?」と彼。

「そのエピソードから学べることは何だろう。自分に応用できる可能性はないだろうか」と考えるのが起業家的。反対に、「その話は本当だろうか?市民はどのように思っているのだろうか?僕なら絶対イヤだな」など疑問点や問題点に関心をフォーカスするのが学生的。できるものなら、良い面だけを吸収しようとする姿勢で学んだ方があなた自身も得すると思いませんか。

その後も彼が笑うことはなかったが、講演のあとに名刺交換に来られた。会社を立ち上げたばかりの起業家だった。私は笑顔条例の州と町の名を彼に告げた。すると、「近々、アメリカに行く用事がありますのでその町に行ってみます」と彼。フットワークの良さは充分に起業家的である。