★テーマ別★

私を理解してくれるのは天だけ

聖人君子といえばまず誰を思い出す?と聞かれたなら、私はまっ先に孔子の名をあげる。なにしろ儒教の創始者であり、道徳の原点を成す教えを残した人だからである。彼が活躍したのは今から約2500年前の紀元前500年頃のこと。当時は春秋戦国の時代で、各地の王が覇を競いあっていた。おそらく孔子は当時から群を抜いた秀才ぶりを発揮し、立身出世も思いのままだったに違いない、と想像していた私だが、現実はまったく違っていたようである。

身分の低い貧しい家庭に生まれた孔子は学問を修めると、政治を志した。しかし当時の中国は身分による差別がさかんだった。身分の低さが災いした孔子はなかなか出世できず、不遇の政治家人生を送っていた。50歳を過ぎてはじめて栄達のチャンスをつかみ、今で言う最高裁判事にまでのぼりつめ、同時に外交官にもなった。だが、それもわずか数年で失脚し、国外に亡命することになる。亡命ではなく政治に失望して諸国巡遊の旅に出たという説もある。いずれにしろ、50代半ばで再び孔子は失業した。

その後、70歳近くになるまで10数年間におよぶ諸国遍歴は政治家として、思想家として、自らを売り込む旅でもあったがその夢はやぶれ、ふたたび郷里にもどった。その後、弟子の教育と著述活動に専念した。それが今日の『論語』などにまとめられるわけだが、彼は74歳でこの世を去っている。当時の平均年齢はわからないが、恐るべき長寿であり、今にあてはめれば100歳を越えた年齢になるはずだ。

こうして孔子の生涯をみてみると、50代前半の数年だけが表舞台に立ったときであり、残りはずっと不遇なのである。むしろ不遇だからこそ、それをバネに一生涯にわたって学問をつづけたとみることもできる。

『「四書五経」の名言録』のなかで著者の守屋洋氏は、「普通の人なら苦労に負けてしまうところを、孔子はそれを肥やしにして自分の器を大きくしていった」と解説している。そして、苦労に負けた人はふつう次のようになりやすいとも書いている。

1.気持ちが落ち込んで顔つきまで暗くなっていく
2.心がねじけて、性格までゆがんでいく
3.自分の責任は棚にあげて、やたら人のせいにする

孔子は、そのどれにも属さず「苦労によって自分の器を大きくした」というのだ。

その孔子が晩年において自分の人生をふり返り、こんな言葉を残している。

「天を恨まず、人をとがめず、下学して上達す。我を知る者はそれ天か」

・・・私は天を恨むこともなく人を責めることもなく、日常の問題から出発してひたすら自分を向上させることに努めてきた。そういう私を理解してくれるのは天だけであろうか・・・

晩年において、こういうことを言える人になりたい。