Rewrite:2014年3月26日(水)
ゴーン氏の日産自動車改革が順調のようだ。1999年6月にルノー社から鳴り物入りで日産に乗り込み、こわもてのするあの顔で矢継ぎ早に経営改革に着手してきた。当初は、あまりにも合理的過ぎる計画に対して、疑問を投げかける声も多かった。しかし、そのリバイバルプラン(再生計画)が、計画を大幅に上回るペースで進展しており、急ピッチで「ゴーン株」が上昇している。
この事例から注目したいのは次の2点だ。
1.ゴーン氏がやったことは何か?リバイバルプランの内容と、その進め方について。
2.シェアを落とし続けた26年間、歴代の社長はなぜ改革できなかったのか?
「5工場の閉鎖」「2万1千人の削減」「部品調達先半減」など99年10/19の新聞各紙で大きく報道されたリバイバルプラン。発表時には、次のようにも語っている。「計画を立てるのは5%、残り95%は実行にかかっている。しかも実行が遅れれば遅れるほど難しくなる。目標を達成できなければ、私は辞任する」
歴代の日産社長も無為無策だったわけではない。しかし結果的には改革できなかった。外部企業から乗り込んできた強みや、外国人であるがゆえのしがらみの無さなどもあるだろう。だが、経営のプロとして、そのリーダーシップから学ぶ点が多いのではないだろうか。
経営のプロとは、2つの条件を満たすことが出来る人を指す。
1.思い切った構造改革を立案できる能力⇒立案力の高さ
2.それをやり切る実行力。タフで柔軟な精神と頭脳、そして肉体があること⇒遂行力の高さ
ゴーン氏以前の社長も「リストラ計画」を発表し、工場閉鎖などを断行したこともある。しかしそれも一時的な外科手術程度で終わっている。また、小さい改善の積み重ねが大きな結果につながると信じていたようだが、現実は違っていた。古き良きニッサンを知っているがゆえに、かつての経営計画の延長でしか、ものごとをとらえていなかったのではないか。
社員の顔が思い浮かび、家族のことを知っているがゆえに改革を遅らせたという見方もあるようだが、私はそう思わない。なぜなら、トヨタを始めとして多くの他社が自己変革しているからだ。日産の社長だけが社員の顔を知っていたわけではないのである。自己変革できる経営のプロを養成する仕組みがあったのか、なかったのかの問題だろう。国が違えば文化が違うように、社長業のあり方についても各国で異なるようである。当然、経営者の養成に対する考え方も違っている。
日本の企業では、経験と実績を積ませていくことで自然と経営者が育ってくると考えていることが多いようだ。従って社長就任の年令も遅い。しかし、経営者は自然に育つのものではなく、計画されたプロセスのなかで養成され、選抜されていくものである。しかも10年程度の期間のなかで後継候補者を複数養成するのが欧米では一般的だ。経営人材を促成栽培する仕組みが日本企業にも必要であることを物語っているエピソードであろう。