●昔、『中一コース』(学研)、『中一時代』(旺文社)という月刊誌があった。私は「コース」のファンだったが、その読者体験を通して私は、のちの人生に影響を与える二つのできごとを経験した。
●ひとつは景品付きクイズに応募し、見事一等賞の景品が当たったこと。
何の出題だったのかは記憶にないが、翌月号の当選者発表欄に私の名前があるのを見つけて、びっくりして何度も見返した。
まちがいなくそこには、「岐阜県・武沢 信行君」と書いてある。同姓同名も疑ったが、たぶん岐阜県に同級生で武沢 信行君はいないはずだと言い聞かせた。
●翌月、英語の授業が始まるとき担任の立川先生が「武沢くん、おめでとう。あなたは最近、なにかうれしいことがありましたね」と言う。
私は何のことか分からずきょとんとしていたら、
「学研さんから景品が届いている。授業のあと職員室に受け取りにきなさい」と先生。
●当時は、学校に景品が届くシステムだったようで、『中一コース』そのものの学校経由で定期購読していたのかもしれない。職員室に行くとゲルマニウム・ラジオのキット一式が届いていた。
●「すごい競争率での当選だぞ、武沢。君は運がいい。大切に使えよ」と先生にいわれ、家に帰って自分で組み立てた。電池を入れてスイッチをひねったら音が出た。チューニングのダイヤルを回したら男性 DJの声が聞こえた。あの興奮はわすれられず、メカ音痴だと思っていた私がラジオを組み立てることができて、大いに自信となった。
この経験が10年後にカシオのポケットコンピューターの購入につながる。こうしたメカは面白い!と感じるようになり、ついに26歳でシャープの組立パソコンMZ-80やPC-8001(NEC)の購入にもつながる。
●もしゲルマニウム・ラジオと出会っていなかったらパソコンに興味を持っていなかったかもしれず、超アナログ親父になっていた可能性が充分ある。
●もうひとつの貴重な体験は「文通」である。
毎月の『中一コース』の読者コーナーでは全国の同級生が文通相手を求めていた。いまでいう「メル友」だが、当時は「ペンパル」と呼んでいた。(今でも英語でそういうらしいが)
●たしか山陰地方の女性とペンパルになり、何度か手紙をやりとりした。最初は自己紹介のようなことから始まり、やがて学校での出来事や部活、得意な学科や苦手な学科のことなどについてやりとりしたが、月に 2通ぐらいしか届かない。毎日郵便受けをみるがほとんどの日は何もない。もどかしくなったので、東北地方の女性とも文通をはじめ、やがてもう一人お願いした。ついには、手紙を書いたり読んだりするのが夕食後の楽しみになった。
●そのとき、ずいぶん文字が上達した。整った文字を書こうとあれほど脂汗を流したことはない。また、より良い文章表現を求めて小説などを読みあさったのもそのころからである。
よくわからないこんな一文と出会い、起承転結が必要なんだと知ったのもこのころだった。
・・・
本所横丁の糸屋の娘
姉は十八 妹は十六
諸国諸大名は弓矢で殺す
糸屋の娘は目で殺す
・・・
●このときの文通で文章を書く苦しさと楽しさを存分に味わったわけだが、それがなければ、きっと今ごろメルマガなどを書いていないのではないか。
そう思うと、『中一コース』に出会っていなかったら、パソコンも知らず文章も書いていない。じゃあ、どこで何をしていたのだろう。
そう思うと急に感謝したくなってきた。
ありがとう!『中一コース』、ゲルマニウムラジオ、ペンパルの皆さん。