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憤しなけれ教えない

●10年ほど前、社員研修を請け負うことも私の中核業務だったころ、新入社員教育を複数の会社から頼まれたことがある。

ほぼ同時期にいろんな会社の若者を見てまわったわけだが、そのとき二種類の手応えを感じた。
一つは、「ここの若者たちは伸びる」という手応え。もう一つは「のれんに腕押しだな」(手応えなし)という手応え。

●要するに学ぶ姿勢の違いが歴然としていたのだ。片方はどん欲に学び、片方はポーズだけの受講で心はここにあらずだった。

「やっぱり人材の質が違うということか」と心の中で整理していたわけだが、ここでいう人材の質とは世間の常識とは異なる。

●ある日のこと、「A」という建築会社と「B」という飲食会社の二社を訪問した。

一流大学の卒業生ばかりをずらりと揃えていた建築会社「A」で、私はこんなメッセージを伝えていた。

・・・
あなたがたは自分株式会社の社長であり、自分自身という商品をこの会社に売っていると考えてみよう。重要顧客であるこの○○建設株式会社を満足させつづけるためには、あなた方自身は今後、どのようになれば良いだろうか、ちょっと考えてみよう。
・・・

すると一人の若者が「ちょっといいですか」と発言を求めた。
「質問かい?」

「質問というか、一応気になるのでうかがっておきたいのですが」と言う。「どうぞ」と促すと、彼の口からビックリするような言葉がはき出された。

●「え~っと、武沢さんでしたっけ。武沢さんご自身にとっては、我社と我々も大切な”お客様”だと思うのですが、ズバリ、今どの程度我社を満足させていると自己評価されていますか?」

「え、どういう意味?何を聞きたいの?」

「ですから、今申しあげた通りのことですよ」

●「その真意が私には分からないが、君にはひとつ別のことを教えてあげようか」

深呼吸し、気を取り直して彼にこう言ってあげた。

「まず、私は”武沢さん”ではない。あなたの”先生”としてここにいる。だから、”武沢先生”と言い直しなさい。その上で、本当に今あなたがどうしても学びたいことだけをもう一度挙手し、立ちあがって質問しなさい。君が発する言葉や質問で君自身の評価が上下していると思って質問し直しなさい」

彼は真顔にもどり黙った。

●彼を黙らせたかったのではない。質問の真意を整理してもう一度すじみちを立てて質問してみなさいということだ。

もし、発言内容が興味本位のものだったり、講師や場の雰囲気を茶化すようなものであれば、毅然とそれを糺さねばならない。それも教育の一部である。

●同じ日の夕方、「B」社で新人研修を行った。

ここは飲食業を経営する会社で、当時、一流大学の卒業生は一人もいなかった。高校卒業者も混じっていた。親の介護で高校にあまり通えず、苦学して卒業した女性が一人いた。

「ようか」(八日)と「はつか」(二十日)を混同して覚えているような若者だったが、彼女が発する質問は心からの質問だった。

本当に知りたい、学びたいという気持ちがこちらにも十分伝わってくる内容のものだった。

●どちらの会社に手応えを感じるか。それは断然「B」社である。
そしてこの10年の歩みをみるかぎり、業績の伸長という面でも大いに「B」が躍進したわけで、それも自明の理である。

●論語にこう書いてある。

述而第七より。

「子曰。不憤不啓。不非不發。舉一隅。不以三隅反。則不復也。」

・・・
子(し)日(のたま)わく、憤(ふん)せずんば啓(けい)せず、非(ひ)せずんば発(はっ)せず。一隅(いちぐう)を挙(あ)げて、三隅(さんぐう)を以(もっ)て反(かえ)らざれば、則(すなわ)ち復(ま)たせざるなり。
・・・

訳すとこうなる。

・・・
孔子は云われた。「問題意識をもって自ら取り組もうという情熱のない者に何かを教えても伝わらない。また、問題を解決しようと粘り強く努力する気持ちのない者に何かを教えても、身につかない。それは、たとえていうなれば、四角いものの一隅を教えたら、あとの三隅を試行錯誤しながら自分で解明する位の意欲がなければ、何一つものにならないのだ」

●孔子の「啓発教育」の出典となった一説である。

啓発とは発(ひら)き教えることをいう。潜在するものを引き出し、在るものはそれに目を開かせて教え向上させるのだが、学ぶ側が憤していなければ(学ぶ意欲が強くなければ)、教えるものではないぞとも説いているのだ。