●同級生の「N」が会いに来た。10年ぶりだろうか。
私のオフィスで合流し、20年ものの老酒が名物の中華料理屋に入った。
とりあえずビールを一口飲みほしたあと、Nが言った。
「お前のオフィスにダルマの置物があったな」
「うん、あった。高崎のだるま市で買ったものだ」と私。
「なぜ買った?」
「え、なぜって。そりゃ開運したいからだ」
「今、そんなに困ってるのか?」
「困ってはいないがもっと運気を呼び込みたいし目標も達成したい」
●「それはあかんぞ、武沢」とN。
さらに、「開運だとか幸運だとか願掛けだとか、ナンバーワンだとか言っている奴らを見ると、エゴが服を着ているように俺にはみえるんだ」と続けた。
「どうして開運がいけないんだ」
●「武沢、そもそもあれだな、節分の豆まきで『福は内、鬼は外』というだろう、あれもけしからん。そんな言葉を子供に教えるから自己中心的な人間が増えるんだ」。
以前から酒が入ると理屈っぽくなるところがあったが、乾杯と同時にこれほどになるNは珍しい。奧さんとけんかでもしたのか。
●言われっぱなしでは癪なので突っ込んでみた。
「それじゃ何かい、自虐的に『福は外、鬼は内』が正しいのかい?」
「いや、正しい豆まきは『福は外、鬼も外』だ」。
「え~、福は外、鬼も外?なんだよ、それ」
●そういえばNは仏教系の大学を出ている。おそらく禅も学んでいるはず。
Nの理論はこうだった。
・・・
「鬼は外」というのは正しい。身内によくないことが起こると心が奪われて平穏な生活ができなくなるからだ。
「福は内」というのは一見すると良さそうにみえる。だが幸運が舞い込むことによって心が躍り、喜んだり有頂天になったりする。それが続くと、人を見下ろしたり自分を過信したりする。もしその幸運が去っていくと今度はそれを不幸と感じるのが人間だ。だから最初から鬼も福も来ないのがよろしい。
・・・
●何だかつまらなさそうな人生に思えるが、Nの理屈にも一理ある。
来る日も来る日もたんたんと自分のやるべきことをやる。それがもたらす結果には一喜一憂しない。
何が起きても「ほお、そうか」と淡々としている。そんな悟りの境地を禅では、「好事もなきにしかず」と言うそうだ。
「よいこともない方が良い」という意味で使う。
●夢やビジョンを心に思い描いて生きることは「好事」を期待していることなのかもしれない。
そうではなく、理念を大切にして行きたい。
夢やビジョンは「Have」「Get」「Realize」(手に入れる、実現する)するものであるのに対し、
理念に生きるとは、「Be」(そうある、そうする)することを大切にする。
「Be」に重きを置いた生き方、目標設定、経営計画が必要なのだろう。
●あまり楽しくはなかったが、考えさせられることが多いNとの一夜だった。