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笑うブッダ

●「今度、呼吸法のセミナーに参加されませんか?」とAさんに誘われた。あいにく先約が入っていたので辞退したが、三日間通いで受講料が3.5万円だという。

「呼吸法のセミナーでそのお値段!」とビックリしたが、インド人指導者が教える伝来の技法で、呼吸と瞑想とヨガをおりまぜた講座だという。

●Aさんによれば、日本人は今、世界でもっとも歩き方が悪い国になってしまったらしい。

歩き方にかぎらず、立ち方、すわり方、呼吸法、姿勢というものを学校でも家庭でも会社でも教えなくなったせいで、若者の姿勢が崩れている。
モデルや役者にでもならないかぎり、一度も自分のクセを矯正されないのが日本という国なのだそうだ。昔はどこよりも厳しかったはずの身のこなしやたたずまいといものがどこかに置き忘れられたようだ。

●この時期、スカートやパンツの丈が短くなると歩き方に目が行くようになる。どんなに美男美女であったとしても、背中を丸めて膝を曲げたまたペタペタ歩いていたりすると「もったいないなぁ」と思う。
呼吸にも瞑想にも正しいやり方がある。正しい指導者について一度学んでおけば、あとはいつでも一人でやれるようになるものだ。

●瞑想や呼吸について気になったので書棚をチェックしたら一冊、風変わりなものをみつけた。
「禅、密教、ヨーガ、タントラ、スーフィなど古来の瞑想法から、現代人のための著者独自の瞑想法までを解説した」500ページ超の本である。

★『新瞑想法入門』(OSHO著、市民出版社) という。
→ http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=2965

●瞑想は心(マインド)の活動をとめ、思考を停止させる。自らの内側を観照し、やがて無心へといたらせる方法である。

この本に紹介されているあらゆるやり方の中からあなたにあったものをひとつずつ取り入れていけばよい。
今日はこの本のなかでも、特にユニークな箇所をご紹介しよう。

●「笑いの瞑想」(本の抜粋)

・・・
人々は笑いが好きである。特に大笑いしているときには、深い瞑想の状態に入り、思考は停止している。「笑い」と「思考」を同時にもつことはできない。もしできるとしたら、その笑いはまだ中途半端で不完全なものだ。私(和尚)の知るかぎり、踊りと笑いがいちばん自然で入りやすい扉である。ほんとうに笑い、ほんとうに踊れば思考は止まる。
(中略)
中国には、笑うブッダ「布袋(ほてい)」の話がある。
彼の教えは、すべて、”ただ笑う”こと。彼は世間を転々とした。ときには市場の真ん中に立って笑いはじめる。それが彼の辻説法だった。

彼の笑いは人をひきつけながら伝染してゆく。ほんとうの笑い、彼は腹をかかえて笑いころげていった。彼が笑いながら大地をころげまわると、集まった人びとも笑いはじめ、笑いの輪がひろがる。
こうして村中が笑いに包まれる。人びとは、布袋が自分たちの村に来ることを待ち望んだ。

彼はひと言も話さなかった。けっしてだ。ブッダについて問えば、彼は笑う。光明について尋ねたら、彼は笑う。真理について尋ねたら、彼は笑う。笑いが、彼の唯一のメッセージだった。
・・・

●たしかに人びとは笑いを愛する。踊りも愛する。
人気お笑い芸人は全国から引っ張りだこだし、一年中踊れる場所には人びとが群がる。
これからの季節、祭りや盆踊りに老若男女が集う。一番いいのは、笑って踊れることかもしれない。

●「笑い瞑想のやり方」(和尚の本の抜粋)

・・・毎朝、目ざめるとき目を開くまえに猫のように体を伸ばします。
体のあらゆる筋を伸ばしましょう。3、4分体を伸ばしたら、目を閉じたまま笑いはじめます。5分間、ただ笑います。最初はあなたがそれをやっているでしょう。けれども、まもなく、試みの笑いが本物の笑いを引き起こします。笑いのなかで我を忘れましょう。ほんとうの笑いが起こるまには数日を要するかもしれません。なぜなら、私たちはこのような笑いに不慣れだからです。しかし、遠からず、それは自然なものになるでしょう。そうなれば、この笑いはあなたのその日一日の質をすっかり変えてしまうでしょう。
・・・

●正直いって、私はまだ「新瞑想法入門」という本を最後まで読み終わっていない。笑いの瞑想もまだやってみたことがない。

それどころか、まだ読み始めたばかりにすぎないのに、こんな部分的な紹介をする資格があるのかどうか。

ただ、この本が説く「正しい瞑想とは自分にあった実践的な瞑想法である」という柔軟な考え方が気に入っている。
日常生活に取り入れてこそ瞑想は生きる。
キリストもマホメットも説かなかったのは瞑想である。だが、ブッダや彼らを含む精神指導者のすべてが瞑想を実践していることに注目したい。

瞑想をマスターすることが大切なことではなかろうか。