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善人と悪人

プラトンは少年時代、「禁じられていることをするのがかえって面白かった」という理由で梨を盗んだりした。創世記のイブは、神から唯一禁止されていた禁断の果実を口にした。「のぞくな!」と書かれた壁の穴はのぞきたくなる。

いけないことはやりたくなる。禁欲的であり続けるのはかなり困難にできているのが人間だ。ところが実際は、ビジネスにおいて、私たちのまわりでは禁欲的な制約がかなりある。

・時間を守ろう ・納期を守ろう ・約束を守ろう ・公約は守ろう
・ルールは守ろう ・理念と方針は貫こう ・目標を必達させよう
・・・etc.

いずれもが大切なことに違いないが、そうした制約を100%守ることが価値あるわけではない。ましてやそれを守るためだけに生まれてきたのでもなければ、禁欲自体が会社創業の理由でもないはずだ。

明らかになにかの積極的インパクトを世の中にもたらすために生まれ、創業したはずだ。禁欲するのであれば、行動的な禁欲でなければならない。ちょうど、聖パウロが「ただ一つの事、すなわち、後ろにあるものを忘れて、前にあるものに向かって体を伸ばしつつ、キリスト・イエスの中でわたしを上に召してくださった神の賞を得るために、目標に向かって 追い求めています。(ピリピ 3:12-14)という類の行動的禁欲だ。

生まれて初めて講演をすることになった場所が愛知県豊橋市。会場に着き、幹事の方と名刺交換するなり、こう言われた。
「武沢さん、豊橋には“豊橋時間”というものがあって、何しろ予定通りに人が集まらない。」

「えっ!ホントですか?“豊橋時間”というのがあるのですか、知らなかったぁ。」と感動したのを覚えている。
要するに、そうした言い回しを知らなかっただけのことだが、その後、名古屋には“名古屋時間”があるのを知った。それを皮切りに、岐阜には岐阜時間が、尾張一宮には一宮時間が、松阪には松阪時間が、沖縄に行けば“沖縄時間”が、札幌にも“札幌時間”があることを知る。つまり、全国各地、どこにでもある。世界から見て時間に正確な日本がそうであるからには、外国ではどうか?

やっぱりある。

ロスにはロス時間が、シスコにはシスコ時間がある。セミナーだけでなく、一対一のアポイントメントでも時間が守られないことがかなりの確率である。とりわけバスや地下鉄が日本ほど発達していないアメリカでは、車の依存度が著しく高い。朝夕の交通ラッシュは日本ほどではないが、かなりある。いきおい、アポイントの時間もそうしたラッシュにぶつかると、簡単に30分や一時間狂ってしまう。日本ではラッシュの遅れを見込んで早めに出発するが、どうもアメリカ大陸では、渋滞による遅刻にはお互い大目にみているような節がある。

あなたが初対面の人から信用され、評価され、やがて掛け替えのない人物として遇されるまでにどのようなプロセスを経るのだろうか。時間を守ること、エチケットマナーを遵守すること、などは大切なことに違いないが、それだけで充分ではない。

1.不安・不信・不満・不快を与えない。
2.期待に応えつづける
3.期待を上回りつづける

この三段階を経る。
悪いことをしない人が善人なのではなく、善いことを行う人が善人なのだと知ろう。

例えば、新入社員教育などで教える社会人の常識・マナーでは、最初「1」の項目を徹底的に教え込む。“べからず集”や“禁句集”“禁止事項一覧表”などを配布する企業も少なくない。
それらは、いずれも他人に対して不安・不信・不満・不快を与えないためのものである。一定水準を保つために、標準以下の言葉づかいや行為を禁じようというのだ。

時間を守ろう、笑顔であいさつしよう、服装はこうしよう、お辞儀はこうしよう、・・・つまりすべてが不快感を与えないためのものである。これらは、良い仕事をするためというより、悪い仕事をしないためのものだ。

これは、顧客満足に対するアプローチも同様だ。