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5月25日 業務日誌

●5月25日(水)午前

出社したあと「マンダラ手帳」と「Nozbe」で今日の時間割を作成し、メルマガ執筆に着手。

今日は何を書くか決まっていない。いろんな本や雑誌を手に取り、インスピレーションが湧くのをまつ。ひたすら資料や本をめくるのは生産的な姿ではないが、月に何度かはこうした時間を過ごす。

9時を少し回ったころだろうか、何かの雑誌に「定年」という文字を発見。突然ピーンときた。最近、知人のPが定年退職したことを思い出したからだ。
「よし、今日は定年問題を書いてみる。でも、一本の原稿になるだろうか?」と思いながらネットで調べ物をしていくと、幾つかのおもしろい記事が見つかった。いわゆる特ダネである。

予期せぬ面白いネタが見つかると、一気に気持ちが高揚する。もともと私は定年制度には懐疑的で、仕事ができる人は70でも80でも大いに働くべきだと思っていたので、それを支援してくれるようなネタが見つかればメッセージを主張しやすい。こんなときは一気に書き上げてしまえそうだ。

●5月25日(水)午後

メルマガを執筆後、新幹線で東京に移動。東京駅に到着し、まっさきに丸の内口に向かった。お目当ては靴磨き。
画家の兄弟がやっていて、私はもう10年近くもここへ通っている。いつものように兄のAさんにやってもらい、靴が一気によみがえった。

●その後、八重洲に移動し「ホテル龍名館」にチェックインした。
ここに宿を取るのは初めてだが、東京駅から徒歩2~3分という便利さと、スタッフのテキパキした対応が好印象だ。

部屋で着替えを済ませ、芝の「メルパルク」へ向かう。
午後3時から「日本ダイカスト工業協同組合」の総会(100名)で講演なので部屋で休憩しているヒマはない。

30分前に会場入りし、理事長や会長と名刺交換して講演に備えた。
以前はこのときの緊張感がたまらなく嫌だったが、いまはそうでもない。

●今回の依頼主はメルマガ読者のK社長。この組合の役員である。
2003年頃から「がんばれ社長!」をお読みいただいてきたのがご縁で今回の企画につながった。
ダイカスト業界のことも事前にK社長から伺っていたし、ネットでも調べてきてある。

依存度が高い自動車などのメーカーがどんどん海外生産を進めていく。
また海外のダイカストメーカーも品質を高め、競争力を増している。
組合幹部ならずとも、業界全体に危機感があったのだが、そこに襲った3.11の大震災。自動車メーカーの生産は激減した。

「今年は5月の総会をやれるのか?」
という声すらあがった中で決定した総会開催。

普段に増して危機感の強い総会だったと思う。私が会場入りしたときは講演直前の休憩時間だったとはいえ、空気がピーンと張り詰めていた。

●そうした中で90分間の講演が始まった。

「何者なんだ?」という顔顔顔。

いきなり私は、こんな自己紹介をした。

「私は鋳物屋の長男です。岐阜県の大垣で亡き父が鋳物会社を経営しておりまして、私も高校生のころアルバイトで製品のバリ取りや運搬などをやらせてもらいました。当時は、農機具の部品としてピストンやシリンダーを作っていました。そのころ負った腕のやけどのあとが今もここに残っています」とそで口をお見せした。

父がやっていたのは一番古い「砂型」鋳物なので、ダイカストほど高精度かつ高生産性のものではないが、同じ鋳物業界である。私自身の最初の勤務先は鍛造用金型会社だった。

そんなご挨拶をしたせいか、場内の空気が一気に好意的に変わったよ
うに思えた。

●昨日申し上げたことは一つだけ。

「こんな多難な時こそリーダーは自社のマニフェストを掲げよう!」

ということであり、そのマニフェストなるものの中味は理念・方針・計画を盛り込んだ合計5枚~10枚程度のシンプルなもので充分。
ただしそれを作るプロセスでは社員全員の声を「Wish List」として集めよう、ということである。

●誰一人眠ることなく、誰一人冷めた人がいない。実に熱心にお聞きいただき、講師冥利につきる90分であった。もちろん、その後の懇親会にも参加した。
持参した【Wish List】の冊子20冊は懇親会場ですべて売り切れた。

●午後7時半、心地よい充実感に包まれてホテルに戻りシャワーを浴びた。ガウンに着替え、本を読む。
するとどうだろう、咳が止まらなくなった。風邪が治っていないことを思い出した。不思議なもので講演会場では風邪のことなど完全に忘れていたのに。
このまま寝てしまおうかと思ったが、小腹がすいた。もう一度外へ出て、すぐ近くの寿司屋で軽く腹ごしらえしてから休んだ。

●朝、依頼主のK社長からご丁寧なメールが届いていた。

「日本のものづくりは、これからますます厳しい時代を迎えるが、求められているものの根底にあるものは、いつの時代も不変だと思う。
そのことを改めて認識できた良き90分であった」と記されていた。

●私の主旨をしっかり受けとめていただいてうれしくなり、小さくガッツポーズしてから、朝の散歩にでかけた。
外気は肌寒かったが、東海道五十三次の起点・日本橋に来たときには、軽く汗ばんでいた。

●今日は午後から「がんばれ社長!」主催で売上倍増セミナーを開催する。やるべきことはすべて午前中に片づけておこうと決めてホテルに戻った。