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続続・いつものBARで

昨日のつづき。

●「なにがあっても決してあきらめない」というリンカーンのメッセージは説得力充分なものだった。さすが元弁護士・政治家だけあってスピーチによどみがない。

アメリカ合衆国の歴代大統領のなかで最も名スピーチの呼び声が高いのは「ゲティスバーグの演説」で、それはリンカーンによるものである。
南北戦争を終え、国立墓地の奉献式でのスピーチで、その時間たるやわずか3分に満たないものだった。単語数にして272語、文字数にして1449字という短いスピーチであるにもかかわらず、今でもアメリカ国民、いや、世界中で引用されるものになっている。

●「…人民の、人民による、人民のための政治… (…government of the people, by the people, for the people…)」という一節は誰もが知っている。

そんなリンカーンが珍しくこの日は5分も話したのだから、BARにいた他のお客も聞き入ってしまうのは当然だろう。

●遅れてやってきた孔子にいままでの議論の経緯をつたえた私。

孔子はまず、持論を述べる前に現状をつぎのように整理してくれた。

「なるほど。すばらしい議論じゃないか。『仁』の大切さを説いたのはマザーテレサ、そして『智』を説いたのが一休禅師、『信』が重要と訴えたのは吉田松陰、『勇』が不可欠と力説したのが織田信長で、『剛』がなければならないと説いたのはリンカーンという訳なんだね。実に興味深い。それで、武沢クンはどう思うんだい?」

●「僕?う~ん、悩ましいテーマですね。人生とは何かと言われているのと同じくらい哲学的な話題で。ただ、これまでのみんなの発言を聴いてて思うことは、唯一絶対といえる徳目ってないんじゃないかということ。何かの軸をもちつつも臨機応変にその場その場で対応できることが大切なんじゃないかと思うのですが・・・」

●そこへ「トゥルルン!」とiPhoneが着信音を発した。

私のFacebookにコメントが届いたようだ。この議論の様子をFacebookのニュースフィードに流していたので、それをご覧になった複数の方からコメントが届いたようだ。私はアプリを立ち上げ、皆にそれを読みあげた。

「私が最も尊敬しているマザーテレサをBARに連れ込んでお酒を飲ませるなんてひどいです。いくら物語といえども、すこし引いちゃいます」
(山梨県女性)

「サラリーマンの悪口をいう信長は好きになれない。”我こそが神であり仏なのじゃ”などと言っているから短命に終わったのをまだ気づかないのだろうか」(岐阜県男性)

「そもそも議題がないまま会話が自然発生のように始まったので、結論をみないのではないか。メルマガ作者はこれをどうまとめるのか、他人事ながら心配だ」(東京都男性)

●「なるほど、読者はよく観ている」

目を閉じて読者のコメントを聞いていた孔子はおもむろに立ち上がり、中国語と日本語を交互に使って自説を述べ始めた。

・「仁を好みて学を好まざれば、その蔽(へい、弊害のこと)や愚」

情け深さは大切であるが、それだけでもし学問を続けなかったら、その仁の行為は情けにおぼれるという愚につながりかねない。

・「知を好みて学を好まざれば、その蔽や蕩(とう)」

知識を好む人が単にもの知りに終わって満足し、自己を高める学問を続けなくなったら、知識をもてあそぶ嫌味な人間になりさがる。

・「信を好みて学を好まざれば、その蔽や賊(ぞく)」

うそが嫌いで信を好む人でも学問を好まなければ正直一途な頑固もの、つまり融通のきかない困った人間になりさがる。

・「勇を好みて学を好まざれば、その蔽や乱」

勇気や果断は大切だが、学問で理知を加えなければ野蛮な勇気と変わらなくなり、周囲を混乱に巻きこみかねない。

・「剛を好みて学を好まざれば、その蔽や狂」

信念に満ちた剛者になるのは結構だが、もし学問を怠れば同じ過ちを何度も何度もくり返すだけのことになる。

●「私はそのことを『論語』ですでに述べている。まだお読みなっていないかな?」

すると、四書五経をそらんじている松陰はすらすらとこう朗読した。

・・・仁を好みて学を好まざれば、その弊や愚。知を好みて学を好まざれば、その蔽や蕩(とう)。信を好みて学を好まざれば、その蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、その蔽や絞(こう)。勇を好みて学を好まざれば、その蔽や乱。剛を好みて学を好まざれば、その蔽や狂。
・・・

「『陽貨』の一節ですな」

●「その通り。すべての徳目には裏表がある。いつも表が出ればよいが、裏目にでる場合もある。学問、とりわけ自己を成長させる学問を怠ってはいかなる徳目がそなわっていても裏目にでかねないのだ。たえず現在進行形の人間であらねばならない」と孔子。

●メンバーは一様にうなずいている。見事に議論が収束したようだ。
孔子こそファシリテーターの元祖ではないか、私はそう思った。

これからBARには必ず孔子を連れてくるようにしよう。だけど、それだと口角泡を飛ばす議論がみられないのかな?

その時はその時でまた考えよう。それより今からの二次会はどこへ行こう?

いや、気分がすっきりしたから今夜は解散といこう。