●週末は仕事があって出勤していたが、なにも手につかない。津波は本当に怖い。東北で起きている悪夢の惨状を見ると、ため息と涙しかでてこない。一日も早い不明者の捜索救助とライフラインの復旧をお祈りしたい。
●それにしても自然に対して人間はなんて無力なんだと痛感する。
世界でもっとも津波の恐ろしさを知っている三陸沖の人たち。だが、想定をはるかに超える地震と津波がおそったら、いとも簡単に町が飲み込まれ、家族や友人が一瞬でバラバラになる。
●「チリ大地震」の教訓を活かし、釜石港沖にはすごい防波堤があった。「世界一深い防波堤」、つまり「世界一の防波堤」として昨年3月に完成し、9月にギネス認定証書を受けたばかりだった。
地元は「これからこの防波堤を世界にPRし観光資源にもする」と意気込んでいた矢先のできごとだった。
総工費1200億円と30年の歳月をかけた世界一の防波堤すらも一瞬で飲み込んでしまう津波とはいったい何だと言いたい。
福島原発の不安露呈もあわせて、防災のあり方がこれで良いのかと大きな課題を突きつけられた。
●私は危機管理の専門外だが、危機における人間の行動についてすこし気になったことがある。
もっと真剣に逃げられないものだろうかと思える映像がたくさんあった。足腰の弱っておられる方が逃げおくれているのはわかるのだが、津波が目の前に迫っているのにぼう然と立ち尽くしている(ようにみえる)人がいた。それはどういう心理なのだろうか、という疑問でもある。
●「まさか自分のいるところまで波が来るはずがない」という過信なのか、それとも、恐ろしさのあまり身動きできなくなっているのか、それとも他の心理か、ということである。なかには、本人にとって貴重な品を大切そうに持ち出して逃げている様子も見受けられた。
これは非常時の教訓として私たちも学んでおかねばならないことだろう。すべてを放り投げて真剣に逃げろ、と。
●もうひとつは、素人撮影について。
カメラや携帯で撮影している人の光景が目についた。すごい映像や写真をとりたいという気持ちは分かるが、あまりに危険だ。
95年の阪神淡路の時にもそれは気にはなったが、今ほどではなかった。
●決死の撮影のおかげで生々しい映像がのこり、今後の貴重な災害教訓にもなるのだが、それは自らの安全が確保されている状態でやるべきことである。撮影していたために逃げおくれた人がどれだけいるかと想像すると心が痛む。できれば、撮影しようという気持ちは捨て去っていただきたい。
●今回の地震は金曜日の午後に発生した。
被害状況が分かってきたのが土日ということもあって、日本中がかたずをのんでテレビとネットにくぎづけになった。
95年の阪神淡路でもインターネットが一部で活かされたが、今回はその比ではない。ツイッターのタイムラインには猛スピードでツイートが貯まっていった。マスコミと口コミが同時進行で行われる様は頼もしくもあった。よくぞサーバーが落ちなかったものだとネットインフラの実力を見なおした。
●さて今日から一週間が始まった。
東京電力が発表した「輪番停電」の情報は混乱錯綜し、東京は朝から通勤の足が大幅にみだれているようだ。しばらくはこうした混乱が続きそうだが、何があっても感情的にならないようにしよう。幸いにも被災しなかった人には冷静な行動が求められる。
●明後日の水曜日、私は福島県いわき市に招かれていた。
中小企業家同友会の総会で講演する予定だったのだが、事務局のA氏といまだに連絡が取れない。電話もメールも不通なので、A氏の安否が気づかわれる。
●明日の大阪講演が中止になったという連絡もはいった。
関西も関係あるの?と思ったが、主催者によれば「トヨタなど製造業が操業中止する状態なので、関西といえどもセミナー開催どころではない」ということらしい。
東京でも節電のため、夜のセミナーを中止する主催者がいるようだが、どうか過剰反応にならないようにお願いしたい。
●節電も大事、喪に服する気持ちも大事。
しかし浮き足だってはならない。もっと大事なことは、各持ち場で本業の仕事をきっちりやって、一円でも一品でも多く被災地にお金や物資を送り届けることである。それが、被災しなかった人の役割だと思う。さらに時間がとれる人は、現地でボランティア活動できるスタンバイもしておこう。
●被災地の方々のために、個人と会社でできることを各人が決めておこう。同時に、通常の営業活動は可能な限りやっていただきたい。
大いに仕事をやっていただくことが国難を救うことだと思う。