人が面倒くさがって嫌がるようなこと(たとえば毎朝、仏壇に水をあげて読経すること)を毎日平然でやり続けられる人がいる。「熱心ですね」というと「いえいえ、これをしないと気持ちわるくて」という答えが返ってくる。習慣になっておられるようだ。習慣がその人をつくりあげているといわれるが、最初はその人が習慣をつくっていった。人が習慣をつくり、やがて、習慣がその人をつくるようになる。
あなたの習慣に思いを馳せてみよう。「昔、あんな習慣があったな」、「最近はこんな習慣が身についた」「そういえばいつしかあの習慣をやめている」というものをリストアップしてみると意外な発見があるかもしれない。
やるといいと分かっているが、実はあまりやりたくない事ベスト10個人版。
1.読書(特にぶ厚いハードカバー)すること
2.早寝早起きすること
3.親孝行、家族孝行、家族でじっくり話し合うこと
4.座禅、瞑想、読経、墓参りすること
5.身体を鍛えること
6.語学学習すること
7.パソコン、スマホに強くなること
8.少食、少飲(飲食をコントロール)すること
9.電話やメールには即レスすること
10.いつも身辺を整理整頓しておくこと
やるといいと分かっているが、実はあまりやりたくない事ベスト10社長版。
1.毎年経営計画書を作ること
2.四半期や月次、週次単位で目標や計画をたてること
3.数字や資金に強くなること
4.無借金経営を実現すること
5.社員教育や社員と対話すること
6.実りある会議やミーティング、朝礼を開催すること
7.新事業、新サービスをリリースすること
8.今までやってきたことをやめる決断をすること
9.毎週欠かさずウィークリーレビュー(週次ふり返り)をすること
10.職場環境の美化(5S 運動など)
稽古に精進する相撲取りが強くなるように、学問への精進を怠らない学生は成長するし、経営の精進を怠らない経営者は進化が止まらない。だが、努力すれば成長できると分かっているのだが、実は人間は努力したくないものでもある。目標設定しても未着手で終わるのもそこに問題が潜んでいる。
ひとつは自分の弱さの問題である。仏教用語に「貪瞋癡(とんじんち)」という言葉がある。108個の煩悩の根っこにある「三毒」である。「貪」(とん)とは、貪欲(とんよく)ともいう。むさぼる心のことである。「瞋」(しん)とは、怒りの心。人は自分以外の誰かを攻撃したくなるようにできている。「癡(痴)」(ち)は、愚癡(ぐち)ともいう。グチっぽくなると、どうせ私(我社)なんか・・・、と否定的な態度を取るようになり進歩がそこで止まる。
この貪瞋癡の「三毒」に七つのものが加わると「十悪業」(じゅうあくごう)というものになる。
1.「貪」(とん、むさぼりのこころ)
2.「瞋」(じん、怒りのこころ)
3.「癡」(ち、道理をわきまえない愚かさとグチのこころ)
4.「邪淫」(じゃいん、肉欲だけで異性と交わりたがること)
5.「殺生」(せっしょう、生き物を殺すこと、残酷なこと)
6.「偸盗」(ちゅうとう、人のものを無断で盗むこと)
7.「妄語」(もうご、つくり話・うそ・大げさ)
8.「綺語」(きご、真実にそむいて巧みに飾り立てたことば)
9.「悪口」(あっこう、人を悪く言うこと)
10.「両舌」(りょうぜつ、その場その場で調子のよいことを言い、矛盾やウソになること、いわゆる「二枚舌」)
これだけあれば、大抵の悪党やダメ人間は網羅できているはずだ。
私たちは「三毒」の誘惑に負けない自分を作っていく必要がある。そのために仏道では、八正道(はっしょうどう)という修行法を定めている。日常生活のなかで自分の弱みが露呈しないような心がけで生活するのだ。そうした実践活動によって「やればいい」と「やっている」とのギャップを縮めていくわけだ。
何歳になっても自分を見かぎってはならない。50歳を過ぎてもいまだに三日坊主の癖がなおらないのなら、51歳からやり方をかえれば三日坊主は克服できる。60歳を過ぎても怠惰な性格がなおらないのなら61歳から新たな工夫をすれば怠惰を克服することができる。70歳を過ぎても浪費ぐせがなおらなかったとしても、考え方とやり方を変えれば、71歳から資産形成ができる。80歳を過ぎても90歳を過ぎても人間は自分を変えられるし、変えねばならない。人格に完成はないからだ。
「八正道」の実践。
1.正見(しょうけん):正しい見方
2.正思(しょうし):正しい考え方
3.正語(しょうご):正しい言葉
4.正業(しょうごう):正しい行為
5.正命(しょうみょう):正しい生活
6.正精進(しょうしょうじん):正しい努力
7.正念(しょうねん):正しい念慮
8.正定(しょうじょう):正しい瞑想、座禅
仮に8番目の「座禅」だけをやったとしても他の7つが不十分だとしたら座禅の効果は乏しい。この8つは互いに補完関係があるのだ。
自分の理想と自分の現実を埋めていくための自己錬磨の結果、自分を克服し新しい自分を発見する。それを仏教用語で、「出身の活路」(しゅっしんのかつろ)という。身体全体、生活全体で学ぶのだ。頭だけで学ぶのではなく、自分の存在や生活のすべてかけて学びとった真理は「信念」や「悟り」とでもいうべきものであり、そうしたものをどれだけ貯えているかどうかが人の奥行きを決める。
日常の生活やビジネスで自分の弱さを少しずつ克服し、やればいいと分かっていることをすべてやりきれる経営者になろう。そうすれば、強みが一層武器になる。
明日は努力が努力とは思えなくなる方法について考えてみたい。