未分類

上州を旅して

●正月明けに、法師温泉と高崎だるま市を目当てに群馬を旅した。

名旅館『長寿館』の湯はウワサに違わぬものだったが、この季節の群馬がこれほど寒いとは想定外。湯上がりにもかかわらずくしゃみを連発し、高崎駅前のマツモトキヨシで風邪薬を調達し、事なきを得た。

●現在の群馬県のことを昔は「上州」と言った。
古代は毛野国(けぬのくに)とよばれ、その一部が上毛野国となり、それがのちになって「上野国」(こうずけのくに)になった。
略して上州(じょうしゅう)とか上毛(じょうもう)と呼ぶ。

●私の中で上州といえば、まっさきに赤城おろしの”からっ風”を連想する。
侠客・国定忠治の「赤城の山も今宵かぎり」の名ゼリフもここ上州のものだし、架空の人物ではあるが中村敦夫が演じたニヒルな股旅・木枯し紋次郎も上州出身である。

●群馬県内にある赤城山・榛名山・妙義山の三つの山を総称して上毛三山(じょうもうさんざん)という。
その向こうには、真っ白に雪化粧した浅間山や白根山もくっきり見える。ビルが少ないので市街地から山並みが良く見えることもあり、これらの山々は県民からとても親しまれている。

●目玉に墨を入れる「縁起だるま」は高崎市にある黄檗宗の「少林山達磨寺」が発祥の地。毎年1月6日と7日の両日はこの寺に市がたつ。
その名もずばり、「だるま市」。夜遅くまで行われ、人や車を規制するほどに賑わう。

前年に願い事が叶った人は墨を両目に入れただるまを寺に返す。叶わなかった人は片目のまま返納して新しいだるまで巻き返しを期す。

●「縁起だるま」は寺の近くの農村の副業として始まった。今ではこれを本業にしているところもある。
縁起熊手の浅草「酉の市」に似ているが、単価はだるまの方が安い。
私が買っただるまは、高さも幅も30センチ程度のやや小ぶりのもので、お値段は2,000円也。この値段で熊手を買うことはできない。
ただし、だるまにお願いできる願掛けは一つだが、熊手の方は開運全般をカバーしてくれることになっているので値段相応なのかもしれない。いずれにしても、両方入手すれば間違いない。

●縁起ものが好きな人にとっては高崎の「だるま市」はおすすめ。東京から新幹線で一時間、「高崎駅」を下車してタクシーで片道1,790円。
私は来年もここへ来ると決めた。

●全盛期には「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺のノレンがひらひらと」とうたわれた高崎市。
中山道と日光例幣使街道の分岐駅として交通の要衝であり、大名や日光東照宮へ派遣される例弊使が宿泊するなど大いに賑わった。
今の高崎田町にはほとんどその面影が見られないが、若者たちが懸命になって復興させようとがんばっている。

●「武沢さん、せっかく高崎に来られるなら講演してください」と、広田健太郎社長が主催しておられる「高崎自営業者大学」で講演した。
25名の経営者があつまって3時間みっちりと講義させていただいた。

★高崎自営業者大学 http://ameblo.jp/kenscorp/

●講演前の時間を利用して広田社長のご案内で高崎市内を見学した。

最初に行ったのが高校だった。広田さんの母校で、なんとこの高校から二人も総理大臣を輩出している。高崎高校という。
校庭で野球部が練習していたので写真を撮ろうとしたら、ピッチャーとキャッチャーが練習を中断して我々に向かって脱帽し「ありがとうございます!」と会釈した。立派だ。
まさかスカウトに間違えたわけではあるまいから、学校のしつけだろう。

●「ひとつの高校で二人の総理って珍しいね」と私が言うと、「群馬全体では戦後に四人も総理が出ています」と広田さん。
「まさかあなたのお父さんが広田弘毅さんじゃないよね」と冗談を言いながら調べてみたら、福田赳夫氏と中曽根康弘氏は高崎高校の前身である高崎中学のOBである。
ほかに小渕恵三、福田康夫の二氏も群馬出身であり、戦後四人も総理を出しているのは群馬だけであった。

ちなみに山口県の場合は、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三の三氏を出している。
菅直人氏は、岡山の親の赴任先で生まれた。それが山口県なのだが、本籍は岡山なのでカウントしない。

●今年、市政111周年を迎えた群馬県高崎市。県庁があるお隣の前橋市が文教と行政の都市ならば、ここ高崎は経済と商業の都市である。

縁遠かった高崎がグーンと身近に感じることができるようになったのは、だるまさんと広田さんのおかげかもしれない。いや、広田さんに自営業者大学の開催を奨めた栢野さん(博多)の影響もでかい。

縁は回り回っているようだ。