●名古屋にお招きした講師が札幌へもどる日のこと。午前中の3時間を利用して「熱田神宮とひつまぶしにご案内しましょう」とお誘いしたら、「別のところでもいいですか?」とおっしゃる。
「産業技術記念館へ行きたい」というリクエストだった。
いろんな方を名古屋観光にご案内してきたが、そこへ行きたいとおっしゃるのは始めて。しかもその方は若い女性で、機械とは無縁のお仕事だ。
●そんな記念館があるとは知っていたが行ったことはなかった。別名トヨタテクノミュージアムといい、豊田佐吉が明治44年に自動織機の研究開発のために創設した試験工場の場所と建物を記念館にしたもの。名古屋市西区にある。
★産業技術記念館 http://www.tcmit.org/
●「OKです。行きましょう。まずそちらを見て、時間があればひつまぶしを食べましょう」ということになったが、結局は記念館だけで時間のすべてを使ってしまった。
織機や自動車などのメカに興味がない私でも充分楽しめたわけだから、機械好きのその女性講師は大はしゃぎ状態。「すご~い」、「うわぁ」を連発し、写真をとりまくっておられた。
●綿花が綿をつくり、それを撚って糸にし、糸を織って布をつくり、それをタオルや風呂敷や衣服にしていく。昔はそれらの工程をすべて手作業でやっていた。それを機械でやるようになり、その後、完全に自動化された。こうした技術の進化はそのまま生産性向上につながり、人々の暮しを豊かにし、企業家に利益をもたらした。
●トヨタ自動車も最初は、豊田自動織機の自動車部としてスタートしている。その豊田自動織機を作ったのが豊田佐吉で、彼は最初、大工仕事で日銭をかせぎながら納屋にとじこもって織機の改良にあけくれていた。先祖がのこしてくれた田畑を切り売りしてはそのお金を織機の改良につぎこんだ。周囲が変人扱いしたこともあるという。
●だがついに完成した佐吉の織機は、その当時有名だった御木本の真珠、鈴木のバイオリンと並び称されるまでになった。
戦後には、織機が「がちゃん」と一回織るごとに1万円儲かったという「ガチャマン景気」がやってくるが、佐吉の会社も大いに利益をあげたことだろう。
だが、佐吉の発明家魂はそれに飽きたらず、日本ではじめての国産自動車作りに夢を馳せる。健康の問題をかかえていた佐吉は、その夢を息子・喜一郎に託し、喜一郎はトヨタ自動車を立ち上げる。
●「なぜ自動車作りに進出と思ったのでしょうね。織機と自動車ってあまり関係ないですよね」と女性講師。
たしかに関係はない。未知の技術に対する追求心が彼らを動かしたのだろう。私はこんな言葉を思い出した。
・・・本当に問題なのは、”なぜ偉大さを追求するのか”ではない。
“どの仕事なら、偉大さを追求せずにはいられなくなるのか”だ。なぜ偉大さを追求しなければならないのか、そこそこの成功で十分ではないのか、と問われなければならないのであれば、おそらく、仕事の選択を間違えている。・・・
ジム・コリンズ(「ビジョナリーカンパニー」)の言葉である。
●それにしても札幌の女性にこの記念館を教えられるとは意外だったが、偉大さを追求する気持ちを忘れかけたらまた来ようと思う。