●今年30歳。社長に就任したばかりの出沢年男(仮名、出沢産商株式会社、社員数5名)はもの静かで控えめな性格。
昨夜の中華料理店での忘年会も、最初は遠くの席に座っていた。そんな出沢社長が意を決して、私にビールをつぎにきてくれた。
ありがたくお受けしていたら、「先生、ちょっと見ていただきたいものがあります」と言う。
●彼が私に見せたのは社員からの手紙だった。なかなかの達筆である。
出沢の会社に勤務している女性パートさん(60代)からのものらしい。
「これをどうしたものでしょう」というような戸惑いの表情が出沢にあった。
よほど意味深長なことが書かれているのだろうか?
●出沢いわく、「経営計画書を作ろうと思い、武沢先生に言われるがままに社員さんから【Wish List】を提出してもらいました。この女性パートさんだけが手紙形式で出してくれたのです。私はこれをどう受け止め、どのように経営計画づくりに活かしていくべきか、武沢先生のご意見を伺いたいのです」と言う。
●「なるほど、ではさっそく拝見します」と”手紙”を読みはじめた。
そのとたん、冒頭の一行目から「え!」と自分の顔を手紙に近づけてしまった。その後も驚きの連続。
この手紙に何が書かれていたのか。
許可を頂いたので一枚目を原文のままご紹介したい。
(達筆な手書きにて)
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・生産性 効率向上
・労働分配率ダウン↓ 給料アップにつながる
・利益分配→30%方式 お得意様に対しても1/3を限度に分配
・無借金、無貸付、支払手形のゼロ化
・入金、仕手、当座の把握
・得意先増加(但し、新規取引 与信慎重)
・品質、サービス、納期、納品書、請求書
・社員満足向上 福利、給与・賞与、有給、食堂、更衣室、駐車場、
作業着貸与、無事故・無怪我、平等と信頼、
清潔感(照明、清掃、整理整頓、服装)
健康(元気、明朗、笑顔、活気)
・人材育成 個人能力アップの為の研修セミナー参加
・有言実行、連絡、報告、信用、理解、責任、独立、株式、社長、持家、結婚
・出入口の屋根延長、増築(雨対策)
・企業は人情だけでは成り立たない。けれど人情がなければ人はついてこない
・・・
ここまででちょうど便せん一枚分。全部で四枚あるのだが一気に読んでしまった。
後半は彼女の決意表明と社長へのメッセージになっていくのだが、それがまたグッとくる内容である。
●私は社員から提出された【Wish List】というものをたくさん見てきた。
通常は、「休みがほしい」「給料が上がるとうれしい」「急な残業依頼は困る」「社長のゴルフを減らしてほしい」「会議は短く」などの個人的願望を箇条書きにしたものである。そういうものしか見たことがないし、それで良いと思ってきた。
●だが、彼女の手紙に書かれていた【Wish List】は、個人の願望というよりは、完全に経営者の目線である。私は冗談まじりにこう申し上げた。
「出沢さん、この手紙はすごいですよ。いや、手紙の主がすごい。このまま経営計画書にして発表しても通用するぐらいの内容です。大いにほめてあげて下さい」
「そうですか、やはりこうしたものを提出してもらって良かったのですね?私は間違った依頼を社員にしてしまったのかと…」
「とんでもない。あなたは素晴らしい社員さんをおもちですよ。ほかの社長が聞いたらうらやましがると思う。そうだ!出沢さん、ちょっとお願いがあります。その方のプライバシーに関するところは避けるので、その手紙をここの皆さんに紹介してもいいですか?」
「ええ、腹を割った社長仲間ですから」と許可してくれた。
●宴たけなわではあったが、私は立ち上がって手紙を朗読した。
最後の便せんにはこんな文面が書かれていた。
・・・
経営計画書づくりの主旨に当てはまらない事を書いてしまった様な気がします。
しかし今回、Wish Listを提出するにあたり、社長が私たちに話された様に積極的に未来を考えることによって、色んなことがみえ、自分捜しにもなりました。
いままで、仕事のことでも個人のことでも、夢や希望よりも現状に慢性化して満足している私がいました。これからは慢性を進展へ、そしてさらなる満足へと考えていくことが大切なのだと気づかされました。
それは今日までに経験したことのないすばらしい社長からの提案でした。もっと私も若い時にこの事に気づいていれば……、今からでも遅くないですよね。
だんだんと手紙になってしまい、破棄しようかと迷いましたが、なんせ話下手なので、このまま提出する事にしました。
(中略)
おくさんのような人になりたい。そして、社長の成長には驚きです。
私の子供もそうなってほしい、子を思う親の願いです。”願えば叶う”と社長が言われたこと、信じてます。
小心で臆病なので、それも克服したいです。
この年令なのに、いつまでも勤めさせて頂き、信頼して内勤も任せてもらい、そして家族の様にして頂き、感謝しております。有難うございます。
出沢産商という会社に入社して本当によかったと思っています。改めて、より一層励みますので、これからもよろしくお願い致します。
・・・
●あれほど盛り上がっていた忘年会場なのに、水を打ったように静かになった。女性パートさんと同世代とおぼしき女性社長は目を真っ赤にしていた。
「そういう人が仲間にいると心強いね」
社員の方はスタンバイできている。あとは社長が正しくリードしていくだけである。