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知的興奮をもつ

●昨日は久しぶりに完全ノーアポデー。「よし、今日は(酒を)飲まない」と周囲に宣言したのだが、午後になって立てつづけにお誘いが入った。
「今夜、時間が取れませんか?」
一件は中部和僑会の会長からで、幹事忘年会に顔を出してほしいという。もう一件は40年ぶりになる同級生からで、「最近、ネットで武沢君のことを知って急に会いたくなった」という。

●結局、ゆうべは韓国焼肉店と小料理屋をはしごすることになり、終わってみれば普段より多く飲みくいした。
今夜も愛知の同友会で忘年会。明日も明後日も明明後日も酒席があり、休肝日を作るのは本当にむずかしいと実感している。

●だが、強い意志でそんな流れに歯止めをかけねばならない。

「壮にして学ぶ」ためには酒は大敵である。「壮」とは30代のことを言うが、この際、中高年全体を「壮」とよぼう。

晩酌や酒宴が日常化している「壮」では、知的生活がおくれるはずがない。渡部昇一氏の近著『知的余生の方法』でもそのあたりに言及しているが、読書人にとって酒をいかに管理するかは、人生の生き残りをかけた大問題といえよう。

●「今こそ遊べよ、日本人!」と声高に叫ぶ作家の浅田次郎氏。

ヨーロッパの最高級ホテルを泊まり歩き、由緒あるカジノで一攫千金を夢見て大博打した本『カッシーノ!』を書くなど、遊び上手の浅田氏。
さぞかしお酒の方もイケルくちかと思いきや、「今までお酒を飲んだことがない」という。飲めないのではなく、飲まないようだ。

●両親は酒豪だそうで、氏も飲めぬ体質ではないはず。あきらかに酒を避けてきたようで、朝日新聞にこんなコラムを書いている。

「洒は飲んでしまったら最後、読み書きができなくなる。実際にはどうか知らぬが、たぶんそうにちがいない。何にもまして読み書きが好きであった私は、ゆえに酒を生活に持ち込むことができなかった。何を大げさな、と思われる向きもあろうが、 酒を知らぬ者の目にはあの飲んでいる時間、加うるに酔うている時間は、まこと時と金の空費としか映らぬのである。しかも夜ごとの累積を思えば、とうてい覚える勇気はなかった」

●以前は私もそうだった。酒を飲みたいと思ったことがなかった。

10年前、名古屋に『やり隊』という名前の山岳部があった。私は副隊長で、経営者ばかり12名で定期的に山登りしていた。立山連峰や西穂高岳なども踏破し、いつか槍ヶ岳へ行きたいという思いから、『やり隊』と命名していたのだ。

●ある日、一日中歩いてようやく目的の山小屋に到着した。リュックをおろし、テラスに出て空気を腹一杯吸ってから、「ふ~っ、おつかれ!」と缶ビールで乾杯する。
皆は美味そうにグビッ、グビッと飲むが、私一人だけ違う缶をもっている。「あれ、武沢さんは飲まないの?」と聞かれるが、「ボクはこっちの方が美味いんで」と缶コーヒーだけで幸せだった。

●そんな私がいつの間にか酒浸りになっていた。

酒を悪者にする必要はないが、酒はなくても不自由しない。

たまに酒が入ることで人間関係が円滑になるのなら、その日は大いに飲もう。また、ちょっとお酒をたしなむことで百薬の長になるのなら、喜んで酒を飲んでからベッドに行こう。

●だが、酒の魅力を凌駕するほどの知的興奮を味わいたいものだ。夜の知的生活を習慣にしてしまおう。
飲酒に目くじらたてた断酒宣言では、うまくいくものではない。

●もう一度浅田次郎氏の文章。

・・・国語の山崎先生もいまだに首をかしげておられるように、私には文学的才能などこれっぽっちもないのである。結果として小説家になったのは、才能でも努力でもなく、早寝早起きの賜物にちがいない。
つまりそれくらいこの習慣は威力を持っているのである。・・・

●奇遇だが、ちょうど一年前の今日(12月15日)も浅田次郎氏の習慣のことをメルマガに書いていた。
不思議なもので、今年もあと半月というこの時期になると、来年こそ習慣を変えようと考えるのだろうか。

★2009年12月15日号『すごい”三文文士”』
→ http://www.e-comon.co.jp/magazine_show.php?magid=2967