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兄の戦死

●ある時、ある町のドラッグストア経営者がなくなった。まだ41歳、独身だった。出張先のホテルで倒れ、救急車のなかで息を引き取った。
倒れたその日まで精力的に仕事をこなし、その翌日には業界主催のゴルフコンペに出席して始球式を担当する予定だったという。

彼は私の知人であり、夕食をご一緒したこともある。仕事が大好きなタフガイだった。いつ寝てるのか不思議なほどメールの時間が不規則だった。

●急きょ経営を引き継ぐことになったのは今まで兄を補佐してきた経理部長の妹さん。

葬儀のとき、弔問客が口々に悼んだ。
「まだ若かったのに」「これからというところだったのに」「さぞや無念でしょう」・・・。

喪主でもあった妹さんは、気丈にもこう語った。

「社長の死は戦死です。名誉の戦死でした。残された家族と社員はショックです。ぽっかりあいた穴はふさがりそうもありません。しかし、本人はきっと幸せだったことでしょう。だって、あれほど惚れ込んでいた仕事のまっ最中に死ねたわけですから。周囲もあきれるほど仕事が大好きだった兄は、冗談で、 “ぼくが死ぬときは戦死か腹上死だろう”と言っていましたが、本当に名誉の戦死を果たしたのだと思います。
考えようによっては腹上死かもしれません。兄の死を悲しいものにしないためにも、残された者が踏ん張らないといけませんね」

●そんな妹さんの話をきいて、「この会社は大丈夫だ」と確信した。
彼女の経営力は未知数だが、経営者に必要な胆力が備わっているからだ。

「これ、兄の遺品です」と黒いカバンを見せてくれた。

中からノートパソコンや万年筆、携帯電話、読みかけの文庫本が取り出された。最後に出てきたのは濃いグリーンの表紙の手帳だった。

それを見て私は思わず「あ、マンダラ手帳だ!」と口走ってしまった。
「ご存知なのですか?」と妹さん。私は自分の手帳をお見せした。カバーの色は違うが同じ手帳だ。

●「少しだけ見せていただけませんか?」とお願いし、兄の手帳を手に取った。まっ黒になるまで使い込まれていた。ところ狭しと書き込みがしてある。

何気なく一番最初の「人生計画」のページを開いてみたら、あることに気づいた。
「健康」「仕事」「経済」「家庭」「社会」「人格」「学習」「遊び」の人生8大分野の目標を書くように作られているページなのだが、そこに書き込まれていたのは、ほとんどが仕事のことばかりだった。

彼にとっての人生とは、仕事そのものであったようだ。会社経営は戦争でもあり、ゲームでもあり、冒険でもあり、恋人でもあったようだ。

●「兄は名誉の戦死です」と妹さん。

昭和29年生まれの私は、戦争のいたましさや辛さ、悲しさについて父から何度も聞かされて育った。ふだん無口の父が、戦争のことを話しだすと止まらなかった。大垣駅前の商店街にいくと、傷痍軍人の方々がたくさんみえた。だから、戦争のない世の中になってほしい、平和が一番だと本能的に思う。

●だが昨今では、平和と命の尊さを叫ぶあまり、いかに死ぬかという大切な議論がおろそかになっているように思える。いかに死ぬか、それはいかに生きるかと同じ議論である。

人は誰かのため、何かのために死にたい。名誉のため、主君のため、家族のため、志のため・・・。そうした、命を賭けるに値するものをもつことができれば、死への漠然とした恐怖は和らぐに違いない。

●幕末の長岡藩家老・河井継之助は、「命は道具だ。のこぎりやカンナと同じく、志を実現するための道具に過ぎない」と語っている。
私は、河井ほど達観はしていないが、兄の死を「名誉の戦死」と語った妹さんの考え方には共感できる。

●そんな妹さんに私は、余分なことを言ってしまったようだ。

「惜しむらくはお兄さんが、このマンダラ手帳で人生8大分野の目標をもち、健康に対する配慮がもう少しあれば良かったですね」

すると妹さんはこう切り返した。

「兄は女の私からみてもうらやましいぐらいにスマートな身体をしていました。定期的にジムにも通って健康管理をしていましたし、人間ドックにも毎年通っていたので、健康への配慮不足はあてはまらないと思います」

「なるほど、それを聞いて安心しました。おっしゃる通り、名誉の戦死ですから悔やむのはもうやめましょう」と皆で朝まで酒を飲んで彼を送ることにした。